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隠れた異空間 6月10日

 

2024年フィレンツェ滞在記、つづきます。

 

カッライア橋のロータリーからボルゴ・オンニッサンティを進むと

右側に謎めいた施設がありました。

教会かな?でもなんだか違うな、と思いつつ

ごめんくださーい・・・図々しくドアを開けてみると

 

 

なんじゃこりゃぁぁ・・・!

 

素晴らしいエントランスでした。なんだろう、ここ。

広くないけれど迫力満載。

 

 

フィレンツェにしては珍しくバロックバリバリ。

天井画もだまし絵になっていました。

お、おもしろい・・・人が降ってきそう。首が痛くなりました。

 

 

シモーネ・デ・ピエロ・ヴェスプッチの記念碑。

ここは旧サン・ジョバンニ・ディ・ディオ病院でした。

病院本体はすでに郊外に引っ越し、現在は

どうやら本部施設の一部が残っているとか。

 

ヴェスプッチと言って思い出すのはアメリゴ・ヴェスプッチ(1454~1512)

アメリカ大陸を発見した(インドと思っていたらしいけれど)冒険家です。

アメリゴはこのシモーネの子孫だそうです。

ヴェスプッチ家はこのオンニッサンティ界隈の有力貴族で

シモーネさんがこの病院の創設者、1382年のこと、

日本では室町時代が始まってようやく50年と言った頃です。

 

700年近く前に設立された病院が今も続いていて

その跡地が改修を重ねつつも大切にされている・・・

素晴らしいことです。

 

 

階段を背に振り返った風景。

正面のガラスドアの向こうはボルゴ・オンニッサンティです。

ガラスドアを隔てて、これまた別世界が広がっていました。

ガイドブックには載っていない場所

地元の人もあまり立ち入らないような不思議な場所。

 

先日ご紹介したカスターニョの最後の晩餐画がある

サンタポッローニャ修道院跡やこの旧病院など

フィレンツェには無料で入れる素晴らしい空間があります。

そしてどこも、外界とバシャッと断ち切られたような

空気が変わる異空間なのです。

 

通りがかりで立ち入り可能なのはこのエントランスまで。

奥には美しい中庭が見えていました。

きっとヴェスプッチ家の美しいお屋敷と庭が続いているのでしょう。

次回、もうちょっと時間の余裕をもって再訪しようと思います。

あわよくば守衛さんにお願いして中庭だけでも覗かせてもらおう・・・。

 

 

身体は食べたもので作られる・・・ 6月03日

 

相変わらずダラダラ続く2024年2月の

フィレンツェ滞在記でございます。

 

なにせ普段は家族と暮らしておりますので

ひとりで家で食事をする機会はほとんどありません。

ですので、ひとり分、それも自分のためだけに準備するとなると

どうにも面倒くさい気持ちが先立つのでした。

 

言い訳はそのくらいにして、何を食べていたか少々ご紹介など。

手抜き食事の風景です・・・。

 

▲ひたすら手を抜いた晩御飯。切らない。加熱もしない。

冷蔵庫から直行野菜。

 

▲プチトマトを買うのは切らなくてよいから。

ルッコラと人参もパックから出すだけ。

でもアボカドとモッツァレッラは切った。がんばった。

 

▲この日のお昼ご飯。トスカーナのサラミとプチトマト。

パックを開けて並べました。

もちろんこれだけじゃ足りなくて、ポテトチップスなぞバリボリと。

 

▲もう見飽きたいつものサラダ。

あまりにひどいので豆追加。缶詰開けただけ。

 

▲生ハムもわすれずに。そしてお煎餅をバリボリ。

 

▲この夜はビーツもあるし、豪華に蒸し野菜もある!

ものすごくがんばった。

 

鬼平犯科帳と日本のニュースを見ながら

白ワインなど片手にノンキなものです。

色んな種類をまんべんなく食べましょう、ええ、分かっています。

でもほら、期間限定ですのでね、ちょっと勝手気ままにやりました。

 

▲お隣にお招きいただきました。

オレンジとモッツァレッラのサラダが美味しかった!

 

今回のアパートは2軒長屋のようになっていて、玄関が共同でした。

で、お隣に滞在中の日本人女性の方が夕飯にご招待くださったのです。

きちんとした家庭料理、正しいお食事。

この前菜の後には沢山の種類の野菜と豆のスープと

カリッと焼いたパン。美味しくて楽しい夜でした。

 

 

ミラノの友人が沢山の差し入れを持って来てくれた後は

一転して豪華になりました。

トリュフ風味のバジルペーストを混ぜたパスタに

美味しいオリーブオイルと美味しいパルミジャーノレッジャーノを。

(自分では買う勇気が出ない食材)

ルッコラも張り切ってトッピング。

 

友人が来てくれた時にはガサゴソと作りました。

 

 

鶏手羽先とブロッコリーのトマト煮。

白いのはポテトピュレです。これは買いました。

作ったのは煮込みだけ。この一皿の前に例によっていつものサラダ

(モッツァレラとプチトマトとルッコラと人参)も出しました・・・。

友人は優しいので喜んでくれましたよ、たぶん。

 

 

最後の夜にも友人が来てくれました。

前日に友人LとCちゃん宅でビステッカをご馳走になり

残りのお肉を持たせてもらったので(まるで実家のお母さん・・・)

ビーフシチューを作りました。

トルテッリーニと一緒に食べたら中々の美味。お肉が美味しいから。

ちなみにトルテッリーニは市販品です。

ビーフシチューの素も日本から持参・・・。

 

今回の滞在、実は初めて風邪をひかずに済みました。

ひとえに寒くなかったからだと思います。

前回はあまりに寒くてLに「凍死したくなければダウンを買え」

と言われたけれど、今回はコートが暑いくらいでした。

今までは「食事内容が悪いから免疫が落ちて風邪ひくんだ・・・!」

と思っておりましたけれど、そうじゃなかった!たぶん!

と言う訳で、きっと次回(可能ならば)の滞在でも

引き続きこんな食生活になると思われます。

まぁいいか!ハハハ

 

 

2人きりで夢の時間を 5月23日

 

唐突に登場するフィレンツェ滞在のお話です。

 

フィレンツェ歴史地区にある

アンドレア・デル・カスターニョ(1421~1457)の

「最後の晩餐」フレスコ画は、無料で見られるのが不思議なほど

(有難い限り)素晴らしい作品です。

サンタポッローニャ(サンタ・アポッローニャ)修道院の

食堂だけが残っていて、平日午前中に公開されています。

ここは彫刻師匠グスターヴォの工房から中心街への通り道なので

工房に行った日は必ず立ち寄るのです。

 

 

とても広い食堂には今はもう何もなくて、そうして大抵だれもいない。

 

▲ライオンも厳かに絵を見上げる

 

足音が響き渡るほど静かな場所で、誰もいない空間を独り占め。

カスターニョの作品と二人きりで過ごすのは大変に贅沢な時間です。

ここはカスターニョの美術館となっていて

最後の晩餐がメイン作品ではありますが

わたしはこちらのピエタが好きです。

 

 

タイトルは「Cristo in pieta tra angeli」、直訳すると

「亡くなったイエス様と天使」と言ったところですけれど

復活したイエス様が棺から出るのを天使が手伝っている図

と勝手に解釈しております。

(全く違うかもしれません。あくまでわたしの勝手な想像です。)

 

3日間を石の棺で横になって過ごしたイエス様、

手足には穴が開いて、胸には槍で刺された傷もあって

立ち上がるのも一苦労な様子です。

ようやく体を起こしたイエス様を天使がかいがいしく支えています。

ううう・・・と唸るイエス様の隣で

右天使「はい、大丈夫ですよ~、ゆっくりゆっくり~」

左天使「足上げて~、さぁ出ましょうね~」

なんて言っているんじゃなかろうか。違うかな。

 

▲下描きも残っている。迷いのない線の上手さ素晴らしさ!

 

 

そして、「最後の晩餐」の左上には無事復活して

旗を持って天に戻るイエス様の姿が描かれています。

あの細長い窓を開けたら何が見えるのかな、と想像したりして。

 

これらの絵を描いた時、カスターニョはたったの26歳だったそうです。

その10年後、36歳でペストに感染して亡くなってしまった。

無念だっただろうな、家族や恋人はいたのかな、

描きかけの絵はどんな作品だったのだろう、

もっと長く生きたらどんな作品を描いたかな、

彫刻はしたのかな・・・

 

まさにこの場所で、若きカスターニョが立って絵を描いていた。

そしてきっと、お弁当も食べただろうし

日々喜んだり怒ったり不安になる時もあったかもしれない。

600年前の、まさに、ここで!

 

この場所は想像が膨らみすぎて(なにせ誰もいないので)

頭がパンパンになってしまいます。

そうしてボォォッと過ごしてから大通りへの扉を開けると

大学生が闊歩していて、バスやバイクが走っている現実にもどる。

 

カスターニョと夢の時間を過ごせる場所です。

 

 

販売禁止の理由が気になる 5月16日

 

思い出した時に登場、フィレンツェ滞在記です。

 

イタリアに行く度に必ず買うもの、それは薬です・・・。

怪しい。でも日本の薬とは違う良さ(変な表現ですが)があります。

それはとにかく「早く良く効く」です。

 

薬に対する考え方は人それぞれで、

できるだけ薬は飲まずに過ごしたいという方もいらっしゃれば

わたしのように「薬があるなら我慢せずにさっさと飲んでしまう」

と言う方もいらっしゃるでしょう。(もちろん容量用法を守った上で)

 

今回のフィレンツェ滞在ではいつもの

咳止めトローチ「Benactiv」と、もうひとつ買いました。

メラトニン1mg の錠剤です。

Benactiv は薬局で買いましたので薬の扱いだと思いますが

こちらメラトニンはエルボリステリア(直訳すると薬草店)

で買いましたので、サプリメント扱いかもしれません。

 

▲左がBenactiv 右がメラトニン

 

メラトニンは寝つきが悪い時などに効きます。

日本のドラッグストアで販売されている睡眠サポートサプリとは違うものです。

メラトニン剤は日本では販売禁止だそうで

(理由は詳しく知りませんが)もしかしたら

悪影響もあるかもしれません。自己責任ということで。

ちなみに持ち帰る際に申請手続きなど必要なく

特に何も問題ありませんでした。

 

▲Benactiv は16錠(2シート)入り、メラトニンはこのシートが3枚入り

 

ええと、とにかくですね、

このメラトニン錠剤、時差ボケに大活躍なのです。

わたしは眠りたい時間の30分前に1回3~4錠飲みますが

途中で目が覚めることなく6~7時間眠れます。

体調によっては寝覚めが少々重い時もあります。

イタリアと日本の時差は7~8時間あって

これは中々キツイものがありますので、

とにかく早く現地時間に慣れる(戻る)には

メラトニン錠剤が大いに助けてくれます。

旅行や出張の際にも初日・二日目はなかなか寝付けず

悶々とするのですが、その心配もだいぶ減ります。

 

日本でも解禁したら良いのだけど・・・

禁止されている問題は何か、気になるところです。

海外のサプリメント等を販売するオンラインショップでは

普通に販売されているようですが

どういう仕組みなのでしょうね。

 

なんだかメラトニンお勧め!な感じになっておりますが

ひとつの経験談として。

もし時差や寝つきに心配がある方

機会があればお試しになってみるのも

ひとつの手かもしれませんよ・・・程度に

お読みいただけたら幸いです。

 

 

猫とお肉とアフリカと 4月08日

 

2024年2月のフィレンツェ滞在記

相変わらず忘れたころに再登場です。

フィレンツェ滞在時には公私ともに(?)

お世話になりっぱなしの友人Lですが

今回の滞在でもLと奥さんCちゃん

そして猫のムジッチェとチョルニのお宅へお邪魔しました。

猫を愛でながらビステッカをいただくのです。

 

今回、わたしはベジタリアンCちゃん用に

ホウレン草の胡麻和えとポテトサラダを山盛り

そして頂き物のシャンパンとアマローネ

(赤ワイン)がありましたので持っていきました。

アマローネはイタリア北部ヴェネト州名産ワインだそうで

ヴェネト州出身のLは大喜び、そして

レアのステーキにはピッタリ!でございました。

シャンパンもアマローネも自分では選べない

(知識がない上に価格的にも)お酒でしたので、

大切な友人とシェア出来て何よりでした。

 

▲シャンパンと猫・・・至福の時。この子はチョルニ。

お行儀の良い女の子。でもテーブルに乗ってはいけません。

 

▲相棒のムジッチェは人懐っこい男の子、じっとしていません。

テーブルからは降りなさい~。

 

さて、今年もLが準備してくれた

美味しいお肉と記念撮影をしまして、

早速ジャジャッと焼いていただきます。

もちろんLが焼いてくれます。

Cちゃんとわたしは座りっぱなし!

 

▲満面笑顔のLをご紹介できないのが残念

 

 

フィレンツェのTボーンステーキは厚切り

それをレアで頂くのが定番です。

外側はカリッと香ばしく、中はほんのり暖かい。

そして血が滴ることはほとんどありません。

 

▲さらにもう一種

 

ステーキのつづきはイタリアンソーセージ

「サルシッチャ」です。

これは豚肉だと思うのですが、ハーブが効いていて美味しい。

そして半生・・・。

以前から不思議なのですが、イタリアでは

「生ソーセージのパニーノ」がありますし

こうして家やバーベキューでも半生で食べます。

日本では生の豚肉は絶対食べちゃダメ!と言われますが

イタリアと処理に違いがあるのか、未だに謎なまま。

そして謎なまま美味しいので食べてしまう・・・。

 

▲毎回ムジッチェが膝にやってきて、わたしはもうノックアウト。

 

「もうお腹いっぱいだ~!」と叫ぶ頃

ベストなタイミングで猫が膝に座ってくれます。

実は言葉が分かっていて、残り物をつまもうと

膝に乗っただけかもしれません・・・

でも良いのです。幸せなので。

(もちろん彼らには人間のご飯は食べさせません。)

猫の頭のにおいを嗅ぎながら食後のジントニック・・・

なんたる幸せ。

 

▲Cちゃんに抱かれて至福のチョルニ、それを見るCちゃんもうっとり。

 

女の子のチョルニはわたしには抱っこさせてくれません。

それもまた猫らしくて「くぅぅ~♡」となるポイントです。

 

LとCちゃんは2023年夏にアフリカ旅行をして

すっかりアフリカに魅了されたとか。

今年の夏も今度はボツワナに行くのだと張り切っていました。

写真を沢山見せてもらって、地平線や真っ青な空、

荒涼とした砂漠も力強いサバンナ、

そして野生動物の眼差しも美しい宿ももう別世界、

二人の興奮が伝わりました。

「一度は行った方が良いよ!

だまされたと思って行ってごらん!!」と

二人に勧められました。

・・・アフリカかぁ・・・遠い。

感覚的にも距離的にも、わたしにはとても遠い。

イタリアからアフリカって、南下すれば良いんだもんねぇ・・・

時差が無いのですもの。日本からよりずっと近い。

きっと日本人とイタリア人と

アフリカに対する感覚も違うのかもしれない、

実際イタリアの街にはアフリカ系の人たちも沢山いて

イタリア社会に馴染んでいます。

歴史的にも地理的にももっと近しいんだろうなぁ、と

酔った頭で考えていました。

 

アフリカに行く前に、まずは

南極とニューヨークと北インドに行きたい・・・

二日酔いの翌日に思っていました。

 

技術とセンス 4月04日

 

現在フィレンツェに滞在中の友人が

美しい写真を送ってくれました。

EREDI PAPERONE Bottega d’Arte の

ショーウィンドウに並ぶKANESEI小箱です。

 

 

写真のセンスと技術があると、こうも違うのですな…!

彼女の配偶者の方はフォトグラファーなので

やはりそんな所もお二人は通じているのかもしれません。

 

 

あれ、こんなにカッコいい雰囲気に展示されていたっけ?

 

 

おや、こんな美しい陰影が見えていたかな??

 

 

実物より良く見えている!?

 

 

この小箱たちが良いご縁に恵まれますよう。

もしフィレンツェにお越しがありましたらぜひ

EREDI PAPERONE Bottega d’Arte へお立ち寄りください。

 

EREDI PAPERONE Bottega d’Arte

Via del Proconsoli,26r Firenze

10::00~13:00/14:00~19:00

 

 

お終いのとき 3月14日

 

わたしの額縁師匠パオラとマッシモについては

何度もお話しているのですが、

もう少しお付き合いください。

 

今回のフィレンツェ滞在で一番に連絡したけれど

なかなか会うことが出来なかったパオラ。

週に1~2度、体調の良い午前中だけ動けるとのことで

滞在後半にようやく会いました。

小柄でとても痩せていて身体が強くないパオラは

昨年秋から体調を崩していて

今は酸素ボンベを携帯しつつ吸入する生活になっていました。

昨年暮に夫のマッシモが亡くなり自分の体調も限界

これが潮時なのよ、と工房を閉じることに決めたと話してくれました。

 

▲「CORNICI」額縁。

シャッターが閉まっている時間がほとんどになった。

 

今はとにかく最後の注文額縁をどうにか仕上げること

(これは無理かも・・・と言うけれど古くからのお客様だから待ってくれるはず)。

その後には大量の材料や道具、荷物を片付けること

見本として店舗に掲げていた額縁を売りきること

そして空にした「元工房」店舗を賃貸に出すこと。

 

店にはまだ額縁が沢山かけてあって、

でもところどころ歯が抜けたように額縁が無くなっている壁には

かつてあった額縁の跡がうっすらと残っている。

あの額縁もこの額縁も、わたしを見習いで

受け入れてくれていた頃からあって、いつも眺めていた額縁でした。

なかにはマッシモを手伝ってわたしも制作に参加した額縁もありました。

 

 

現実問題として、この大量の物の仕分け、

業者を呼んだり売ったり捨てたり、事務手続き、

それらは今のパオラには無理なのでは・・・

かといって、わたしが出来ることはほとんど何も無い。

せいぜい荷物運びゴミ捨て掃除程度の肉体労働で

そんなのは最後の最後。

パオラのひとり娘(裁判所勤務)や友人知人がすることであって

わたしが出る幕では無いのだと頭では理解しつつも

でもこの寂しさ心細さはとても辛い。

次にフィレンツェに行った時、それが今年か来年か数年先か

その時にこの工房はもう姿を変えているのだろうと覚悟をしました。

 

店の見本額縁はすでに予約済みのものも沢山あったので

わたしはひとつだけ小さな額縁を買うことにしました。

パオラと、今は亡きマッシモの合作、ふたりの工房の残照。

 

 

ところ変わればお好みも変わる 3月07日

 

さて、今回のイタリア・フィレンツェ滞在の

目的1はマッシモのお墓参りでしたが、

もうひとつの目的は小箱販売継続に向けての諸々でした。

 

昨年2月の滞在時に友人Lに手伝ってもらって

ようやく辿り着いた「KANESEI小箱販売店代理店」の

EREDI PAPERONE へ、納品小箱を担いで行って参りました。

 

フィレンツェ特産工芸品のマーブル紙や革を使った

高級文具店の奥の一角にあるガラスケース、

そこに我が娘たち(小箱)が並んでおりました。

Lが写真に撮って送ってくれていましたが

自分の目で見ると喜びもひとしおでした。

▲お送りしたショップカードも置いてくださっている

 

鍵付きのガラスケースでライトアップされていて

安心安全にキラキラ輝いています。

なんだか授業参観に来た母の気分と言いましょうか。

 

今回は新しく10個の小箱をお預けしました。

20個持って行ったうち、売れ筋10個を

お店の奥様スザンナさんに選んでいただきました。

 

実は箔を使ったものが売れているような気がしていて

今回半分は箔小箱を持って行ったのですが

意外にもスザンナさんが選んだのは色小箱、

それも明るめの色の小箱でした。

そういえばショーウィンドウに残っているのは箔小箱が多い、

そしてホワイトゴールド、錫箔はず~~っと前から残っている。

日本ではというと箔の小箱がメインですし

色小箱もシックな色が人気だったりして。

ところ変わればお好みも変わる。

 

そうかそうか、ふむふむ。

このお店で買って下さるお客様の傾向が半年経って

少しずつ見えてきました。

 

▲素敵なウィンドウを見て、通りがかりで立ち寄って下さる方も。

2月なのに気温20度近くあった日、半そで姿とダウンが共存・・・

 

今までメールでのやり取りばかりでしたが

今回スザンナさんと3日に一度は顔を合わせて

送金についてや税金について手続き諸々やら

打ち合わせをすることが出来ました。やはり手っ取り早い。

そして実際のお店やお客様の様子を見ることが出来て

本当に良かったと思っています。

 

スザンナさんとお互いに人となりも分かって来た安心感も大きい。

(笑顔が素敵でとても優しくて機嫌の良し悪しを表に出さない、

手間も惜しまないキッチリしたスザンナさんでした。

語弊があるけれどイタリア人とは思えない・・・

日本人同士のような感覚で接することが出来ました。)

これからまだまだ長いお付き合いが出来るよう期待しつつ

あわよくば将来的に小さい額縁(写真やハガキサイズ)も

置いてもらえたら良いな、ウヒヒ・・・

などと小さな野望も抱いております。

 

今はとにもかくにも、良い小箱を作ってお届けしたいと思います。

EREDI PAPERONE Bottega d’Arte

Via del Proconsoli,26r Firenze

10::00~13:00/14:00~19:00

 

 

ありがとうはどこからでも 3月04日

 

フィレンツェ滞在から帰国いたしました。

1か月弱の期間、とてもとても充実した盛沢山の時間を過ごしました。

 

出発前のブログ(1月22日)で、わたしの額縁師匠マッシモが

昨年12月に亡くなったとお話しました。

今回の滞在でマッシモの墓前にご挨拶することを

大きな目標にしていたのでしたが、

結局叶えることは出来ませんでした。

 

 

マッシモの妻でわたしのもう一人の師匠である

パオラは現在体調を崩していて、

週に1~2度ほんの少し体調の良い午前中だけ動ける様子です。

すでに工房はほとんど使われておらず

見本として壁に掛けていた沢山の額縁も

「もう作れないから必要ない」とどんどん販売している状態。

そんなパオラに「マッシモのお墓に連れて行ってほしい」とは言えず

墓地の場所もフィレンツェ郊外でバスで行けるものの

「ものすごく広い墓地だから、あなた一人で行っても

お墓の場所が分からないでしょ・・・」と諭されてしまったのでした。

つまり「そんなに必死になって行く必要はないでしょ、

もう亡くなってしまったのだから」と言うことなのかな、と思いました。

 

日本のお墓参りの感覚とイタリアのそれと

大きな違いはないように感じます。そして

「お墓に大切な人の存在を感じるか感じないか」が

人それぞれなのも同じ。

最近のイタリアでは火葬が多く、

散骨(散灰)も増えているのだとか。

 

 

フィレンツェには驚くほど沢山の教会があって

そのどれもに、大切になさっている方々の存在を感じます。

お花、蝋燭の灯、清められた床などなど・・・。

マッシモに「ありがとう」も「さようなら」も言えなかったけれど

手入れの行き届いた教会に立ち寄るたびに

なんとなくマッシモを思っていたので、

きっと伝わっていたであろう

伝わっていてほしいと思っています。