diario
La nostalgia in Italia 2011 Firenze -Cipresso- 7月30日
イタリアの郷愁 2011 フィレンツェ -糸杉のある風景-
わたしにとって ローマを思わせる木が笠松なら
フィレンツェでは糸杉(cipresso)を思い出します。
細くまっすぐに繊細に空に向かって伸びる糸杉をみると
フィレンツェ郊外の小さな教会 サン・ミニアート・アル・モンテ教会に通じる
坂道を 夕方に上ったことを思い出すからです。
この坂道からは そこかしこに糸杉が見え
教会の美しいファサードと糸杉に夕日が当たって印象的な風景でした。
糸杉は死を象徴すると聞きます。
あまり良くないイメージがあるかもしれません。
でも フィレンツェはルネッサンス発祥の街。
ルネッサンスは「再生」を意味する言葉ですから
「死」から「再生」へつながると思えば
糸杉を見てフィレンツェを思い出すというのも
そう悪いものでもない・・・と思っています。
そのままでいい 7月26日
先日のニュースで知ったのですが
イタリアのフィレンツェ郊外にある修道院跡で
リザ・ジェラルディーニとみられる遺骨が見つかったそうです。
この女性は かの有名なダ・ヴィンチ作
「モナ・リザ」のモデルとされている方だとか。
発掘された骨の遺伝子鑑定の結果 本当に彼女の遺骨と
分かった場合には 頭蓋骨から顔を復元する計画だそうです。
レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作「モナ・リザ」
そのモデルが誰だったのか 実際の顔は絵と同じなのか・・・
このニュースに触れた時は一瞬「知りたい」と思いましたが
やはりこれは・・・
知るべきではない 知りたくない
と思いました。
絵のイメージとまつわる逸話や歴史はそのままに。
みなさんはいかがですか?
スペースシャトルと額縁修復 7月23日
突然ですが スペースシャトルとKANESEIの額縁修復
共通点があります。
一体なにでしょう??
答えは「エポキシ樹脂」でした。
KANESEIの額縁修復で欠かせない材料に
木部用のエポキシパテがあります。
これは本当に便利な材です。
粘土状なので充填・整形をしつつ接着もできる!
メーカーによれば硬化後はPH値も安定した中性になるそうなので
額装する作品へ酸の影響の心配もなく安心です。
それで スペースシャトルとエポキシ樹脂の関係は?
シャトル機体に貼られている耐熱タイル(3000℃に耐える)も
特殊なエポキシ樹脂接着剤で接着されているのですって。
こんど夜空を眺めた時には
宇宙空間を飛んでいるスペースシャトルと古い額縁に
思いを馳せてみてください・・・
La nostalgia in Italia 2011 Firenze -Sono tornata a Firenze- 7月19日
イタリアの郷愁 2011 フィレンツェ -フィレンツェに帰ってきた-
とうとうフィレンツェに到着しました。
帰って来た・・・と言うかどうか。
嬉しく懐かしくもあり 反面複雑な気持ちも有ります。
フィレンツェ中央駅「サンタ・マリア・ノヴェッラ」に付いたとたん
「留学の記憶」と一言ではとても言い切れない
20代前半の3年間を必死に過ごした様々な記憶と
息苦しいような でも懐かしくてはしゃぎたくなる気持ちが
見えるもの聞こえる音感じる匂い 何もかもから
一緒になって押し寄せてきたのでした。
これを “青春を懐かしむ気持ち”と表現するのでしょうか。
我ながら感傷的すぎると思いつつも
「懐かしのフィレンツェにいるのだから
それもまた良いではないか・・・」と
夜のヴェッキオ橋を眺めました。
「バーン=ジョーンズ 装飾と象徴」展 7月16日
以前のブログトピックで 藤田嗣治は
自分の作品に合わせて額縁も自作していたという
お話をしたことがありました。
自分の作品世界を完成させるには 自作の額縁を付けることが
(額縁の完成度も一定以上必要になるにせよ)
一番近い道なのかもしれないけれど 額縁職人が
作った額縁を付けることでまた新しい世界が広がる
可能性があるのではないか・・・と思いました。
先日バーン=ジョーンズの作品展を観て また改めて
同じ考えが巡っています。
三菱一号館美術館で開催されている展覧会
「バーン=ジョーンズ 装飾と象徴」展に出品されている
作品のいくつかは バーン=ジョーンズ自らが作ったと
されている額縁がつけられているとか。
ルネサンス風の祭壇額縁など 木地に石膏を塗り
盛り上げ装飾をして金箔水押しで仕上げられた
素晴らしい額縁でした。
画家が作ったとはにわかに信じられないような仕上がりです。
と言うのも 彼の父親が額縁職人で
彼自身も職人技術を身に着けていたらしいのです。
そしてやはり 自作の額縁がつけられたバーン=ジョーンズの作品は
彼独特の絵の世界が完璧に完成されていました。
19世紀末のアーツ&クラフツ運動に参加していたバーン=ジョーンズは
職人的な仕事をすることに誇りを持っていたことと思います。
油絵にはわざと修復を施されたような細工(裏打ち等)がされ
ニスも黄色く変色した古い趣を出すように工夫してあり
いわば「アンティーク仕上げ」されているのだそうです。
わたしがバーン=ジョーンズを好むのは装飾的だからだと
思っていましたが 今回の展覧会を観て
「古いものが好き」という共通の趣味があったらしい・・・
と言うことも発見のひとつでした。
それにしても やはりと言うか当然というか
図録には額縁の写真はありませんでした。
自作の額縁と判断されているのなら 額縁も作品の一部として
写真を掲載しても良いのではないでしょうか。
なかなか難しいですね。
三菱一号館美術館 http://mimt.jp/
額縁の作り方 番外 魔法の石 7月12日
箔を貼った後にメノウ棒で磨く段階になって
乾きすぎてしまったり 箔の上に膠分が上がってしまって
メノウがきしんで箔が剥がれてしまう・・・
ということになっても 焦らずに解決しましょう。
それまでどうにも磨けなかった部分に この石の成分を乗せれば
まるで魔法のようにスムーズにメノウが滑り出します。
この魔法の石は パラフィン。
コットンでパラフィンをさっと撫でて
きしむ箔の上を軽くポンポンと触ります。
それだけでOK。
この方法はフィレンツェの額縁師匠マッシモ氏に教わりました。
上の写真のパラフィンも マッシモ氏が工房で使っている
大きなパラフィンの塊から分けて頂いたものです。
小さな欠片ですが わたしが一生使うには十分の量。
ちなみにパラフィンの代用として
ローソク(つまり蝋)や乾いた固形石鹸も使えます。
お試しあれ。
La nostalgia in Italia 2011 -Dal finestrino del treno per Firenze- 7月09日
イタリアの郷愁 2011 -フィレンツェへ向かう車窓から-
ローマ・テルミニ駅からフィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅行き
15時15分発のユーロスター・イタリアに乗りました。
2等席(グリーン車ではない一般席)で90ユーロでした。
駅を出発して数十分で 早くも街は遠くなります。
イタリアは日本同様に四季がありますが
日本とはまた違う 美しい秋の風景です。
羊の群れの行方
広大な畑を耕す生活
丘の上の家に住む人
夕日に輝く山や森
変化に富む秋の車窓風景を眺め 想像を膨らませた2時間でした。
青紙について考える 7月05日
日本で一般的に見るほとんどの額縁の裏には
「青紙」(緑だけど!)と呼ばれる紙が全面に貼られています。
いわば仕上げのお化粧のようなもので
むき出しの木地やベニヤ板を綺麗に保護する目的と思われます。
KANESEIでも青紙の水貼りテープを使っています。
(下の写真はKANESEI額縁ではなく他社製品です)
イタリアでの額縁修業先であるマッシモ氏の工房では
木地に水性木工用塗料(ステイン等)を塗って仕上げていましたので
青紙を貼るのは日本独自の製法だと思っていたのですが
先日修復でお預かりしたイギリスの100~140年程前の額縁にも
紙が貼りこまれていました。
とはいえ額縁本体ではなく ライナーに貼ってあり
その目的は不明ですが 恐らくこれもお化粧でしょう。
元の色が分からないほど汚れ酸化した紙と接着剤で
見るも無残な状態になっていました。
ホコリとカビ 湿気の温床でもあり
納められていた作品に良い環境のはずがありません。
修復にあたり この酸化した紙と接着剤を取り除く必要があります。
削り取れる部分はすべて削り 必要最低限の水を含ませてはふき取り
最終的には 大量の埃の山と化した紙でした。
乾燥した古い木地に水分を与えるのは
大変危険な行為で細心の注意が必要です。
紙を剥がし取るだけでも費やされる作業量は少なくありません。
良かれと思って施された紙も 100年後には害でしかない・・・。
青紙の必要性と危険性を 一概に天秤にはかけられません。
日本国内で展覧会に出品したり売買の時の評価として
青紙で仕上げられていることは現状では必要なことと言えるでしょう。
すでに日本での「額縁の仕様」として定着しているからです。
でも長い目で見ると また納められている作品への影響を考えると
果たしてこの青紙の存在はどうなのだろう?
シンプルに木地のまま仕上げても良いのではないか?
今すぐに青紙を使わない仕上げにするのは
難しいかもしれませんが たとえば全面に貼らず
必要最低限に減らしたり ライナーには絶対に貼らない など
徐々に改善できればと思っています。
青紙についての一考察でした。
待っている時間は 7月02日
額縁の制作でも修復でも あるいは料理でも
「待つ時間」は結構あって そして重要です。
石膏が乾くまでの待ち時間
下地に塗った絵具が乾くまでの待ち時間
塩を振って味が馴染むまでの待ち時間・・・
この時間を余裕をもって待つのは
わたしにとって実はなかなか大変です。
せっかちなのか 余裕が無いのか。
彼ら(額縁や料理)が「待っててね」と言っているのですから
落ち着いて 少し違う作業でもしていれば良いものを
つい待ちきれず作業を進めてしまって
後悔先に立たず! を何度か繰り返しました。
最近はようやく失敗が身に染みて
待つようにはなりましたが
それでも相変わらずの「我慢の時間」に変わりありません。
生きる上でも作業するにも 余裕を持ちたいものだ・・・
などと考えております。