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格子窓の風景 教室から見ていたのは 1月29日

 

古い建物を大切に使っているカフェテリアで

窓際の席に案内されたとき

なんだかとても懐かしい気持ちになりました。

なんだろう?

知っている場所に良く似ている。

写真を撮ってみたら わかりました。

学校の窓辺の風景でした。

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教室の一番後ろの窓際の席。

教壇から一番離れた場所で自分の世界に入り込んで

ぼんやりと外を眺めていた記憶。

その頃のわたし 何を考えていたのかもうあまり覚えていませんが

夢の中では思い出しているような気がします。

 

 

教えはいまも 1月26日

 

銀の箔押し(箔貼り)作業をしていて思い出すのは

フィレンツェの Palazzo Spinelli 美術修復学校で

3年目にあった箔の授業の先生です。

当時50歳前後の女性の先生でしたが すでに名前も忘れてしまいました。

2年目のころ 3年目の友人たちから「あの先生は厳しくて怖い」と

ちらほら噂を聞いており いざ3年になって受講したら本当なのでした。

 

20人弱いる生徒たちがおのおの作業をしているのですが

広い教室のどこからか鋭い目が光って「そこ!ナイフの研ぎが足りない!」とか

「ニカワが多すぎでしょ!」と大きな声が飛んできます。

本当にどこから見ていらしたのかと思うほど 的確な指導。

そのかわり 上手く仕上げる事ができた時はとてもほめて下さる先生でした。

当時はその緊張感あふれる授業が面白くもあり怖くもあり・・・。

 

先生にいつも言われていたこと

“銀箔を貼る時に塗るニカワ液は少なめに!”

“ボーロを塗ったら素手で触らないこと!”

などなどは今も気を付けつつ そしてその意味を実感しつつ作業しています。

「仰げば尊し」の歌詞ではありませんけれど

いままで沢山の先生方のお世話になり いまのわたしになりました。

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La nostalgia in Italia 2011 Venezia ‐Paesaggio dal Taxi acqueo- 1月22日

 

イタリアの郷愁 2011 ヴェネチア -水上タクシーからの風景-

 

とうとうこの時が来ました。

ヴェネチアの“マルコ・ポーロ国際空港”から日本へ帰ります。

夕方発の便ですので ホテルからの出発はランチ後ゆっくりでした。

まずは水路でバスターミナルへ向かい リムジンバスで本土の空港へ。

最後の贅沢 そして名残を惜しむためにホテルの桟橋から

水上タクシーでバスターミナルのある Piazzale Roma へ行くことにしました。

 

予約時間になるとホテルの桟橋にはピカピカに磨かれたモーターボートが到着し

あっという間に重いスーツケース2つが積み込まれた思ったら

サッと手を出され船へ導いてくれます。

水上タクシー料金は60ユーロでした。

ヴェネチア到着時の苦労と恐怖を思えば雲泥の差。

ゴンドラも乗りませんでしたし 遊覧も兼ねて自分への贅沢を許しましょう。

「終わり良ければ全て良し」ということで。

 

ボート内はシートがありますが 最後まで風景を楽しむために立ち乗り。

磨かれた屋根には空の飛行機雲とかもめが写っていました。

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前の青い船はトラック代わりの貨物船です。台車も積んでいます。

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モザイク壁の美しいお屋敷と船バス。

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すこし裏水路に入ると 廃墟になった屋敷もあります。

ヴェネチアの家は維持が大変で 本土に移る人も少なくないとか。

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パトカーももちろんボート。パトボート。

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そして下の写真 右からにょっきり出ているのは信号です。

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これだけ交通量の多い水路ですから 信号は当然ですね。

また当然ながら 信号機は陸路と同じです。

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さあ終点 Piazzale Roma が近づいてきました。

この橋をくぐればもうすぐです・・・!

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できた・・・かもしれない? 1月19日

 

画材店に行って「実験用」と称して新しい材料を衝動買いして

作業部屋でガサゴソとお試しをすることがあります。

いままで使ったことが無かった材料は 結果が楽しみでもありつつ

予想と違う仕上がりにがっかりすることもあればびっくりすることも。

今回の実験結果は 希望と違いましたが偶然新たな収穫にもなりました。

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わたしがイタリア留学中にお世話になっていた

マッシモ氏の工房では門外不出の技法がありました。

「フィレンツェでこの技法が出来るのは僕ともう一軒の工房だけなんだよ」と。

何度かこっそりお願いしたものの とうとう教えてもらうことができませんでした。

それが下地にひび割れを作る方法。

(いままでナミナミヒビヒビ等でご紹介していた方法はニスにひびを作る方法です。)

もちろん様々な方法でひび割れを作ることは出来ます。

完成品として販売されている「ひび割れ下地」の材料を使えばすぐですし

また 日本の額縁工房でもオリジナルのレシピがあって

ひび割れ下地を作っているところもあるでしょう。

要は乾燥スピードの問題(のはず)ですから。

でも強度や美しさなどクリアすべき点もあります。

できるだけ古典的な材料を使うという方針も忘れずに。

わたしが今まで試した方法では なかなか実用まで行きませんでした。

 

今回の新しい材料実験で もしかしたらその下地ができたかもしれません。

まだ実用段階ではありませんが かなり有望です。

ううーむ 楽しくなってきました。

近いうちにこの技法を使って完成した額縁をご紹介できたらと思っています。

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つつがなく終わり あらたに始まる 1月15日

 

2015年もまたお正月最後のイベントがきました。

歌会始です。

今年のお題は「本」でした。

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読む「本」はもちろん 日本の「本」でも1本2本の「本」でも良いのですが

やはり読む「本」を使った歌が多かったようです。

若い人は恋や現在・未来を 年配の方は過去の思い出を詠うのが

いつもの傾向ではありつつも やはり印象的なのでした。

 

節をつけて読み上げる「講師(こうじ)」「講頌(こうしょう)」という方々がいるのですが

その顔ぶれを見たり「その音から始めたら最後の音が低すぎて大変~」などと

心配をしたり(まったく余計なお世話ですが!)

また女性皇族の方々のドレス姿を拝見するのも楽しみの一つです。

 

でも毎年一番の楽しみは 皇后さまの御歌。

美しい言葉と まるで浮かんで見えるような情景は

毎年なにか心の奥がせりあがってきて掴まれるような

「ああ」とため息が出るような御歌なのです。

これを感動と言うのでしょうか。

発露よりもっと個人的な奥深い震えのような気持ち

まるで皇后さまと秘密を分かち合ったような気持ちになります。

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番組の終わりにアナウンサーが毎年

「この歌会始で皇室のお正月行事がすべてつつがなく終わりました」

と言うのですが この「お正月がつつがなく終わる」という表現も

穏やかでありながら新しい年がきちんと始まる知らせようで

なんだかとても好きなのです。

 

La nostalgia in Italia 2011 Venezia -Extra 18 Finestra Romantica- 1月12日

 

イタリアの郷愁 2011 ヴェネチア -番外18 ロマンチックな窓-

 

サン・マルコ広場の裏あたり 観光客がひっきりなしに通る運河沿いに

とても美しい窓辺があり すかさず写真を撮ってしまいました。

イタリアの他の古い都市同様にヴェネチアも

街中で植物を見かける機会はとても少ないので

こうして手入れの行き届いた美しい窓辺には惹きつけられます。

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おそらくこの建物のワンフロア毎に一件のお宅になっているのでしょう。

3階のテラスは大小取り合わせた緑がたくさん!

(植木鉢が運河に転がり落ちたらどうしよう・・・余計な心配ですね)

その上の4階のテラスは真っ赤なゼラニウムで統一されていて美しさもそれぞれ。

わたしが住人だったらどんな風にしたいかな・・・と考えましたが

やはり3階のテラスのように沢山の種類をとりどりに

花の時期をずらしていつも何かの花が咲いているようにしたいと思います。

お手入れは大変でしょうけれど 道行く人が楽しんでくれたら

それも満足感のひとつとなって せっせとテラス作りに励むでしょう。

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窓の左上へ伸びる蔦 手すり右の大きな鉢でCの字になって

濃い緑に淡い緑 テラコッタの茶色 赤やピンクまた濃紫の花がアクセント。

そして中央から まるで薄いカーテンのように垂れる蔦があって

何気なさそうに装っていますが かなり計算された形です!

この窓を開けて出てくるのはどんな人でしょうか。

白髪を美しく結ってタイトスカートにハイヒールを履いた奥様?

それともガウンを羽織った妙齢の女性?

まさか引退後のオジサマだったりして??

きっと毛の長い猫も飼われているのではないでしょうか。

なににせよロマンチックな人が住んでいるに違いない!と予想しています。

 

 

鎌倉へ  そうして変わりゆく 1月08日

 

毎年晦日に鎌倉へ行くようになってもう何年になるか・・・

我が家の恒例行事 鎌倉八幡様へのお参りに2014年も行きました。

 

由比ヶ浜に車を停めて降りた浜は 強い風が吹いていて

遠くに見えるウィンドサーフィンの帆(?)もずいぶん傾いています。

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トンビは羽ばたきもせず 空で海に向かっていました。

うらやましいくらいに気持ちがよさそう。

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浜を後にして 八幡様を目指して歩きます。

浜辺から八幡様の境内まで およそ2kmでしょうか。

小町通りの入り口は昨年以上の混雑で すれ違うのもままなりません。

観光客の楽しそうな声 人力車の呼び声 お店の呼び声 賑やかです。

縫うように歩いてたどり着いた八幡様で 2014年無事のお礼と2015年無事をお願いします。

 

ご神木の大イチョウが倒れてしまったのは2010年の春でしたが

それからもうすぐ5年になります。

どうやらヒコバエ復活は残念な結果だった様子で

小さな苗木に植え替えられていました。

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この苗木もおそらく大イチョウから育ったもののはず

どうか元気に根付くようにと祈る気持ちです。

「がんばれ」の願いとエールは沢山の人々からも送られていました。

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それにしても小町通りの賑わいは年々増しているように感じます。

食べ歩きのお団子やお饅頭 クレープのお店には行列ができ

無国籍な雑貨やチェーンの飲食店が増えて 人が溢れるようです。

どこかで見たことのある よくある観光地と同じ雰囲気。

一方で古い商店-鎌倉彫や骨董の店 あるいは履物屋や床屋-は閑散とし

文豪が訪れていた喫茶店「門」も わたしが毎年楽しみにして

必ず立ち寄っていた古書店「木犀堂」も相次いで閉店しました。

若宮大路に出ていたお正月飾りの屋台はいつの間にか見なくなり

古い材木問屋も今は無くなり更地になっていました。

 

わたしが知っている鎌倉から猛スピードで変わりゆく様子は

まるで追い出されるようで寂しく感じます。

でも ふと隣を歩く家族連れの小さな女の子の笑顔を見て

この子にとっての「幸せな思い出の鎌倉」は今日の姿なのだ

この子の笑顔は昔のわたしの笑顔なのだと気づき

こうして変わりゆくのが ずっと繰り返されてきた当然なのだ

古い大イチョウは倒れてしまったけれど

若い苗木が代わりに同じ場所で成長していくのだ・・・と

心がすこし楽になりました。

2015年の晦日に鎌倉を再訪したとき 今日の気持ちと女の子の笑顔を

また思い出すのでしょう。

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もっと身軽に 1月05日

 

あけましておめでとうございます。

雪がぽうぽうと舞う元旦を迎えた東京でしたが

お正月はいかがお過ごしでしたでしょうか。

わたしは2015年もいつものように穏やかな元旦を迎えました。

家族とお節とお屠蘇をいただき お雑煮に入れるお餅の数に悩み

年賀状で友人の子供たちの成長に驚いたり

そして年末にいただいた喪中葉書の送り主の方々に思いを馳せたり。

わたしがこうして家族とお正月を過ごせることに

あらためて感謝し 気持ちを引き締めなければなりません。

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ことしのお節料理 わたしのイチオシはお豆腐で作った伊達巻。

ふんわりと美味しくできました。

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家族には くわいの炊いたものが好評でした。

良い芽が出ますように。

 

すでにお仕事が始まっている方もいらっしゃいますね。

わたしは本日atelier LASPIS で2015年初仕事です。

ことしは「心身ともに軽やかに」を目指します。

 

 

あけましておめでとうございます 1月01日

2015

    Charles-Émile JACQUE, The Flock in a Forest

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

2015年 元旦 KANESEI