top » diario

diario

錬金術師の名前 2月29日

 

ホカホカマリア様?」でお話したイタリア語の単語

「Bagnomaria」(湯煎)のつづき。

気になって追及しましたが、ご興味あればぜひ。

 

湯煎は古典技法絵画だけではなく

いちばん使われるのはお料理の分野でしょうか。

チョコレートを溶かしたり卵を少しずつ加熱したり。

イタリアに料理修行に来られる方も

沢山いらっしゃいますので、きっとこの

「Bagnomaria」に「はてな❔」と思われた方は

沢山いらっしゃるのではないかと期待しております。

 

さて、わたしの手持ちの伊伊辞書をまず引いてみます。

 

▲イタリア語によるイタリア語の辞書。Novitaとあるが古い・・・

 

 

「容器に入れたものを熱湯に浸す。加熱する。」ですって。

いや、そりゃ分かっておるのじゃよ・・・!

語源が載っているかと思ったのだけど。

 

次なる手段、イタリア人に聞く。

そうしましたところ、こんなスクショが送られてきて

「わたしも知らなかった」ですって。

まぁこんなこといちいち気にするのは

我ながら煩いと思いますからね、ハハハ。

 

 

「この言葉の元はおそらく、モーセの姉で錬金術師の

Myriam (ミリアム;ヘブライ語のマリア)に由来しており、

この調理法を初めて使ったのがミリアムとされている。

”マリアのお風呂”と呼ばれる調理法。」

つまるところ、モーセの姉が

「わたしが開発したこの方法、わたしの名前を付けるべし!」

だったのかも?という伝説・・・へぇえええええええ!

Maria は聖母マリア様ではなくて、もっと古い

旧約聖書の時代のMaria (Myriam) だったのでした。

 

これにて一件落着!ついでに etimologia (語源、語源学)

という単語も知ることが出来て一石二鳥。

モーセの姉がミリアムであり、ラテン語でマリアになる。

これも初めて知ることが出来ました。

一石二鳥、いや四鳥で友人には感謝でございます。

 

モーセの姉ミリアム。

弟のモーセが十戒の石板を掲げている横で焚火に大鍋をかけて

何やら怪しい薬草や鉱物を湯煎でグツグツ・・・

「フフフ!これぞ新しい技法、わたしが発明したのよ!」

と呟いていたりして。

変な風景を想像しています。

 

 

 

ホカホカマリア様? 2月26日

 

イタリア語を少しご存じで

古典技法の経験がある方ならば

あるいはイタリア料理を勉強なさった方なら

きっとご存じのイタリア語単語

それは「bagnomaria」、湯煎という意味です。

 

古典技法で欠かせない石膏地はニカワ液に溶いてありますから

必ず湯煎で温めて液状にして(冷えるとゼリー状になる)使います。

 

▲右上のガラス瓶に石膏液が入っています。

普段は冷蔵庫に入れておいて、使う時に湯煎で温めています。

下に敷いた紙がびしょ濡れなのは、湯煎して瓶を拭かなかったから・・・。

 

キャンバスや板絵の下地、額縁にもKANESEI小箱にも

一番ベーシックな石膏下地、つまりニカワで溶いた石膏を

湯煎して塗ってあります。

 

▲パスティリア(石膏盛上げ装飾)も湯煎した石膏液で垂らし描き。

 

で、このイタリア語の湯煎という単語「bagomaria」

バーニョマリーアと発音しますが、バーニョはお風呂またはトイレ

マリアとは言わずと知れた聖母マリア様です。たぶん。

この単語を見るたびに湯船につかってホカホカしたマリア様とか

トイレに座ったマリア様とか(大変に失礼ながら!)

イラスト的な画像が頭に浮かんでしまう。

 

なぜ湯煎が bagnomaria という言葉になったのか

気になりだすと止まらない。

 

もしかしたらお風呂もトイレもマリア様も

全く関係ないところから来た単語だったり?

それもまた興味津々であります!

 

今度イタリア人に聞いてみよう・・・

 

 

その時に言うべきこと 1月22日

 

1月24日の水曜日から、フィレンツェに行って参ります。

 

いつもは帰国後にご報告でしたが

今回は先にお知らせしてみることにしました。

とは言え、イタリア滞在中もブログは予約投稿いたしますので

変わらずご覧いただけますと嬉しいです。

イタリア滞在記はまた帰国後に。(2023年滞在記も中途半端ですが。)

 

大学卒業後すぐに留学したフィレンツェで

一番お世話になったのが額縁工房corniceria del’agnolo の

マッシモ&パオラ夫妻でした。

修行先探しに難航したなか、受け入れてくれたのはマッシモでした。

2年間毎日毎日、半日を彼らの工房で修行させていただき

親知らずを抜くときは工房のお客様の歯医者さんを紹介してもらい

(おかげ様で緊急対応していただけた)

頭痛の時の鎮痛剤選びから食事のこと

(激安ワインを飲むくらいならビールを飲みなさい、とか!)の心配、

たまに家に招待してもらって

暖炉の炭火焼きステーキをご馳走になったり・・・

まだまだ精神的に子供だったわたしにとって

本当に「イタリアの両親」でした。

 

その後、彼ら夫婦にも様々なことがあって

数年前からマッシモは額縁の仕事から離れてしまい

わたしがフィレンツェに行った時も挨拶と少しのお喋りだけ

という状況だったのでした。

 

パオラから「残念ながらマッシモが数日前に亡くなった」

と連絡があったのは昨年12月でした。

 

 

2月に会った時 Come sta? (お元気ですか?変わりない?)と聞いたら

Si, cosi cosi… (うん、まぁぼちぼちね。)との返事でした。

「ちょっと痩せたな」と思ったものの、

その時は慌ただしい挨拶で終わりました。

それが最後になるなんて、もちろん思いもせず。

 

この人に一体どれだけお世話になって

支えられて、助けてもらっただろう。

その感謝はきちんと伝えただろうか。

せめてマッシモの墓前でご挨拶だけはしたいのです。

 

後悔先に立たず、人生はいつ何があるか分からない、

一日一日を大切に、一期一会、

そんなことは頭では知っていたけれど。

 

会いたい人には会っておかないといけない。

せめて感謝は伝えておかないと、と今更思っています。

 

 

二十歳の女の子の肖像 10月09日

 

ギルランダイオ作「ジョヴァンナ・トルナブオーニの肖像」

部分模写ができました。

 

 

サイズは10センチ×6センチ

名刺のひと回り大きいくらいのサイズです。

オリジナル作品は77センチ×49センチ

スペインの美術館にあります。

 

▲わたしの模写は・・・

うむ、すみません。お許し下され。

 

オリジナルの表情より子供っぽいような、

のんきそうな眼差しになってしもうた・・・

 

▲画像はwikipediaより

 

若く艶やかな肌、気品ある表情を

ギルランダイオはさすが美しく表現しています。

彼女、ジョヴァンナさんが亡くなって

2年後に描かれた肖像画だそうです。

まるでモデルのジョヴァンナを目の前にして

描いたみたいに感じていましたので、驚き。

 

名家アルビツィ家に生まれ

18歳でトルナブオーニ家に政略結婚で嫁ぎ、

19歳で第一子を産み、20歳ですぐ第2子、

そして亡くなった・・・二十歳の女の子の肖像。

どんなことを考えていたのかな

何が好きだったのかな、色々想像します。

 

わたしの模写のような、のんきで

子供っぽい表情をする時間が、彼女にもあったのかな。

 

政略結婚も、短い人生も、傍から見たら

不自由で辛い人生なのではと感じるけれど、

本当はどうだったんだろう?

ジョヴァンナ本人にしか分からない事ですけれどね・・・。

 

 

この肖像画はトルナブオーニ家から

パンドルフィーニ家に渡った時期もあったとか。

トルナブオーニもパンドルフィーニも、そしてアルビツィも、

今もフィレンツェ中心部にある有名な通りの名前です。

Via de Tornabuoni, Via dei Pandolfini, Borgo degli Arbizi ・・・

1400年代後半、その頃はそれぞれトルナブオーニ家

パンドルフィーニ家、アルビツィ家の

屋敷があった通りなのでしょう。

 

ジョヴァンナやギルランダイオが通ったであろう道を、

視線を少し上げれば当時と変わらない建物が続く道を、

600年後を生きるわたしも歩くことができる・・・

だからフィレンツェから離れられません。

 

 

改めて考えてみる。 10月24日

 

以前すこし、イタリアの知人に

言われた事をここで書いたことがあります。

「なぜ日本に生まれ育ったのに

日本伝統の模様を使った小箱を作らないの?」

と言われた、という話。

 

じつはその前の会話がありました。

この知人にわたしは軽い気持ちで

「イタリアで小箱を販売できたらと

思っているのだけど」と言ったのです。

そうしましたら割とハッキリと

「君の小箱はミラノでは売れないよ。

もっとモダンなデザインじゃないとね。

こういった品物をイタリアで売るのは難しい。」

と言われました。

ちなみにこの人はミラノ近郊在住で

全く関係のないお仕事をされています。

でも美術に関して知識と眼を持っている。

 

 

わたしの小箱はヘンテコで古臭いのか?

売れないって簡単に言ってくれたもんだ。

それは単なるアナタの感想だろう。

やってみなくちゃ分からないでしょう!

・・・内心ムッとして

同時に「日本の伝統模様を入れた小箱を

作ってみたら?」と言われたことも

すっかり「お蔵入り」させていました。

 

だけど、後から冷静に考えてみれば

確かにそうです。

なぜに洋風模様にこだわる??

単に好きだから、だけど

別にこだわっているわけじゃない。

じゃぁなぜ和風模様の小箱を作らない?

前にも少し作ってみて楽しかったじゃない?

あの人の一言で避けていたのでは??

せっかくアドバイスをくれたのに。

 

 

前置きが長くなりましたが

そんな訳でして、最近すこし

日本の伝統的な模様や中国伝来模様など

改めて本を見つつ考えております。

気持ちの扉を開けたいと思っています。

 

 

みちびかれて 4月07日

 

わたしの宝物のひとつにペンダントがあります。

2001年にユーロに統一されるまで使われた

イタリアの通貨500リラコインのペンダントです。

 

▲REPUBBULICA ITALIANA イタリア共和国

 

両親の友達が、わたしが小学生だったころに

プレゼントして下さったものです。

なぜ子供にイタリア硬貨のペンダントを?

それはもはや霧の向こうのお話なのですが。

 

▲裏面はローマのクイリナーレ(大統領官邸)

とても美しいデザインのコインです。

 

その後、大学を卒業してイタリアに留学して

しばらくたった後に、突如このペンダントの

存在を思い出したのです。

「あれ、そういえばこのコインは?!」

ずっと箪笥の奥にしまっていた

まさに「あのペンダント」だったのでした。

 

▲1985年の刻印、点字が入っていることにも感動。

 

留学当時はまだ通貨リラの時代で

毎日のようにこの500リラコインを使っておりました。

チンクエチェント(500)おおよそ50円の感覚でした。

まさか現役通貨のペンダントを当該国で

身に着けるわけにもいかず。

帰国後はここぞという時のお守りになりました。

「このペンダントはイタリアとわたしを

結びつける何かの暗示か導きだったのだ」と思えて

大切にしております。

 

わたしの手の中の、小さなイタリアです。

 

 

 

朝の嬉しい小包 3月24日

 

ある月曜日の朝、いつものように

市が尾のアトリエLAPISに着いてみると

わたし宛の小包がありました。

 

知らない差出人・・・なんだろう?

と開けてみたら

イタリアのトローチがふたつも!

つい「わぁ!」と一声出てしまいました。

 

▲さっそく開けてひとつは口の中へ!

 

このトローチについて、昨年秋に

このブログでお話していたものでした。

以前、すこしメールのやり取りをした方が

今もブログを読んでいてくださって

ご家族がお仕事でイタリアへいらした際に

買ってきたからとお裾分けして下さったのです。

 

花粉症で点鼻薬をつかうと、乾きすぎて

のどの調子もおかしくなるこの時期に

とても嬉しい贈り物でした。

 

メールのやり取りはもうずいぶん前のこと。

(同封のお手紙を読んで思い出しました。)

その時のことを、そしてブログの内容も

覚えていてくださったのも嬉しいのに

こうして贈り物にしてくださるとは・・・。

それはそれは嬉しい、幸せな朝でした。

 

このトローチがあれば

イタリアの思い出を蘇らせることができて

もうしばらく、もうしばらく!

行けるまでの我慢ができそうです。

 

 

 

箱を壊さないでください? 1月27日

 

相変わらず小箱はガサゴソと

制作しております。

 

イタリアの友人とメッセージのやり取りをして

突然思い出したフレーズがありました。

「Non mi rompere le scatole.」直訳すると

「わたしに(複数の)箱を壊さないで。」

イタリア語で箱は scatola(スカートラ)

と言います。複数形で scatole(スカートレ)。

わたしに箱を壊す・・・?日本語では

意味不明ですが、イタリア語では

「わたしをうんざりさせないでよ」と

言いたいようなときに使います。

(わたしの記憶・感覚ですので違うかも??)

 

▲この箱を壊されたら・・・泣きます。

 

こうしたフレーズは学校で習うのではなく

日々の生活の中で聞いて覚えた記憶があります。

たぶん、額縁師匠のパオラも言っていました、

「んも~!いい加減にしてよ!」なんて意味で。

(わたしが言われた訳ではありませんよ・・・)

 

ちなみに

「Che rompere le palle」も同じような意味。

なんちゅーこっちゃ!やってらんねー!

と言うような感じです。

箱(scatole)が違う単語に変わりましたが

palle は「玉」(複数形)つまり

男性の大切な部分を指す言葉・・・

「『あそこ』を壊す」なんと恐ろしい!

スラングでございましょうね。ハハハ。

老若男女が普通に使っていました。

 

▲ようやく1面終わり、あと4面・・・

 

それにしても、うんざりだよ!のフレーズに

なぜ「箱」という単語が出てくるのか?

箱を作りながら「箱を壊す」について考えております。

 

 

Firenze 2020-12 1月21日

 

ひきつづきローマ日帰り旅行から。

 

人込みのパンテオンから向かった

「ドーリア・パンフィーリ美術館」は

貴族のお屋敷を美術館にしてありますが

現在も広い敷地内にご家族で住んでおられるという

本当の(と言うのでしょうか)貴族のお屋敷。

 

にぎやかな大通りに面した入り口から入ると

いくつものアーチを通り抜けるごとに静かになって

「立入禁止」の門の向こうには美しい中庭

そして高級車が並んでいたりして

まさに「今も使われている生きたお屋敷」の姿なのです。

 

 

さて、これまた優雅で大きな階段を上った先の

美術館は、フィレンツェのルネッサンス様式

質実剛健とは全く違う華やかなバロック風~

ロココ風の室内が続きます。

▲廊下という廊下すべてに展示されている作品。

美しい天井も見逃せません。

 

▲コロナ前の日本の企画展だったら行列必至の

カラヴァッジョですが、立ち止まる人も少なく・・・

 

▲フィリッポ・リッピにいたっては

大きな部屋にわたしひとり、貸し切り状態という幸せ。

だけど室内は照明が暗かった・・・

 

このほか、ラファエロ、ティツィアーノ、ベッリーニ

パルミジャニーノ、ベッカフーミなどイタリアの巨匠

北方ルネッサンスやスペインの有名どころもたくさん!

もちろん額縁も祭壇型からトンド(円)

ルネッサンススタイルもローマらしいバロックも

ありとあらゆる作品を見ることができるのでした。

 

▲ベッリーニの作品。イエス・キリストの表情がかわいい。

サルバトール・ローザスタイルの中部イタリアらしい額縁。

 

▲ベッカフーミはトンドが好きなのですな。

 

程よく空いていて、室内インテリアも

絵画も彫刻も、そしてテキスタイルや衣装も見られる

なんともてんこ盛りな美術館です。

時間が足りなくてじっくり見られなかったのが残念!

再訪を誓ってフィレンツェへの帰途へつきました。

 

museo di palazzo doria pamphilj

 

Radio Bruno Fiorentina 12月10日

 

久しぶりにイタリアに行くと、まずは

ヒアリングに慣れなければなりません。

わたしが拙いイタリア語を話すのはもう

友人知人(お店の方も)に許していただくとして

ヒアリングだけは!1週間くらい過ぎてようやく

緊張状態から脱する感じなのです。

 

これはいかん・・・今がこれじゃあ

年々悪くなる一方なのでは?!ということで

イタリアのラジオを聴くことにいたしました。

なんて便利な時代でしょう、スマホアプリで

オンエア中のラジオが聴けてしまうのですね。

 

2月滞在中に通ったグスターヴォさんの工房では

いつもラジオが流れていて、耳に残っています。

グスターヴォさんとおなじ局「RadioBrunoFiorentina」

を見つけてさっそく視聴開始です。

ここは日本のAMラジオのような雰囲気です。

▲数え切れないほどあるラジオ局、その中から

「RadioBrunoFiorentina」を発見。

ニュースや宗教に特化した局もありました。

 

なにせフィレンツェのラジオ局ですので、

コマーシャルもスーパーマーケットの

週末のセールのご案内とか、かなりローカル。

それが面白く懐かしいのです。

 

もちろん聞き取れないことも多いですし

政治経済やニュースなど、単語から想像しかできません。

でもDJのおしゃべりなどは一緒に笑っちゃったり。

流行のイタリアンポップスやスラング(?)など

「今の生きたイタリア語」に触れています。

語学の本を見ながら唸っているより良いかも?

気が向いたら他の地方局、ヴェネツィアやローマの

放送も聞いてみようと思います。

方言やイントネーションの違いも聞けて面白そう。

つぎにいつイタリアに行くことができるか

今もって不明ですけれど、準備だけはしておきたい。

ヒアリングは大事だよ・・・と思っている毎日です。

 

 

もしそれが薔薇なら、咲くだろう 11月19日

 

すでに2020年も終わりが見えてきて

いったい今年は何だったんだろう・・・と

呆然とするような、でも振り返ると実に

色々とあった一年でありました。

まだ何か大きなことが起こるかもしれないけれど

2020年はすでに終わった気でおりまして、

早くも次の2021年に希望を抱いています。

 

コロナ禍で計画も予定も、希望と夢も

ブツリと切られてしまって

初夏にはちょっと取り乱したりしたことを

思い出しています。

そして秋が深まってきて、ようやく

心身が落ち着いてきた感覚です。

 

イタリアのことわざに

“Se son rose,fioriranno” という言葉があるのを知りました。

直訳すれば「それが薔薇なら咲くだろう」と。

「なるようになる」とでも言いましょうか。

「成ると決まっていることは、何をしようとも成る。」

 

いや、なにかもっと前向きな美しい表現があるはず。

諦めたとかではなくて、なんと言うのだろう

「人事を尽くして天命を待つ」かな?

でもこんなに大げさな感じではなくて。

 

▲初夏に咲いた我が家の薔薇。見事でした。

 

わたしのイメージで、ありきたりですが

「柔らかく前向きな気持ちで、

日々できることをする努力を続ければ

やがて希望が叶う日も来るでしょう」

・・・とでも思っておきます。

 

Se son rose,fioriranno

希望を薔薇に表現するところが

イタリア人ってとてもすてきだな、と思っています。

 

 

オークションのオンライン見学 6月18日

 

フィレンツェにあるオークションハウスPandolfini では

古い額縁専門のオークションがあります。

▲2018年4月に行われた額縁オークションのカタログ。

これは終わった後の11月に古書店で買いました。

 

今年2020年6月17日の現地時間10時から

額縁専門オークションが開かれましたので

オンラインで見学しました。

▲Pandolfini(パンドルフィーニ)の

インスタグラムよりお借りしました。

美しすぎてうっとり。額縁天国!

 

▲パンドルフィーニのオークションサイト

16日午前10時よりオークション開始です。

 

オークション開催前には実物が公開展示され、

オンラインカタログでは詳細な写真を見ることができます。

不明な点は電話で問い合わせれば答えてくれるとか。

 

▲オンラインカタログで出品作品の詳細を見ます。

 

当日、開始時間にパスワードを入れてログインすると

オークション会場の中継を見ながら入札することができます。

▲中央の女性が進行役。下の画面に入札価格が続々と入る。

入札が終わると木槌で「カン!」と打って落札を知らせる。

 

入札は会場にいるお客さんに加えて電話でする人

そしてオンラインでする人といて3つの方法で進められます。

表示価格より少し安いところから始まって、

人気の額縁は桁が変わるほどの競り合いになって

見ているだけで戦々恐々、ハラハラします。

テレビや映画で見ていた世界なのです。

 

約2時間で総数183枚の額縁が競り落とされました。

欲しいものを落札するには素早い判断と度胸が必要!

慣れと自制心も必要かもしれません。

 

大変に面白い社会見学でした。

いつか現地の会場でも見てみたい。

そして入札してみたい・・・ような怖いような。

 

 

携帯用フォトフレームについてしばし考える 6月15日

 

イタリア・フィレンツェにいる

わたしの額縁師匠パオラとマッシモから

日本の友人へのプレゼントを預かっています。

革でできた額縁。フォトフレームです。

このコロナ禍があともう少し落ち着いたら

お渡しする予定なのです。

 

2月の滞在時、工房で帰国のあいさつをしていたら

パオラが「そうだ!市場で買ったばかりだけど

これを渡してちょうだい!」と急きょ預かったのでした。

なのでまだ手入れもされていない状態です。

▲擦り切れたり傷がついていたり。汚れもあります。

 

左の青はフィレンツェの Pineider製、

右の緑はローマの A.Antinori製、

どちらも老舗、かなり有名店のものです。

(わたしも欲しい・・・でも預かり物。)

眺めていたら修理魂がムラムラ、

もう少し見栄え良くしてさしあげましょう・・・。

まずは固く絞ったウエスでかるく水拭きしてから

絵の具で補彩をしました。

 

▲こちらは濃い緑、もうひとつは深い青

補彩は濃い色のほうが薄い色より難しくありません。

 

そして少しのワックスで磨いて、これでどうでしょう。

まだ傷跡は見えるけれど、まぁぼちぼち。

▲緑にはガラスが入っていましたが荷物で割れてしまい

アクリルに交換しました。青は元から入っていた透明シート。

 

革のフォトフレームは軽くて薄くて丈夫です。

外国の方は長いバカンスに大切な写真を持っていきますよね。

これはきっと携帯用のフレームなのでしょう。

携帯用フォトフレーム・・・わたしも作ってみようかな。

すてきな布袋に入れたりして、良さそう良さそう。

でも、問題は薄さと軽さですね。ふむむ。

 

 

小箱を贈る 4月23日

 

ご覧いただいておりました小箱は

無事に完成し、贈り物にしました。

イタリアの友人へささやかな感謝と励ましに

雑貨とともに送りました。

普段より日数はかかりましたが

無事に手元に届いたようです。

▲側面は黒一色です。

 

▲蓋と身の合印として中央に赤を少しいれました。

 写真だと見づらいのですが・・・。

 

蓋をぱかっと開けますと

今回は中に貼った別珍も黒です。

黒が好きな人ですので、お好みに合わせて。

 

イタリアの友人知人に元気に再会できる日が

一日も早く来るように願いつつ

わたしに何ができるか考えています。

 

「works」ページ内「other」にアップいたしました。

どうぞご覧下さい。

 

 

出会っていたのは後で分かる 12月02日

 

フィレンツェのルネッサンス美術に

わたしが心から興味を持ったのは

NHKのテレビ番組を観たときからでした。

当時、高校3年生です。

 

それ以来、どうしてもフィレンツェに

行きたくてたまらなくて、

大学進学時は学校主催で行われる夏の旅で

フィレンツェに行ける学校を選び、

結局大学卒業後には両親の許しで

とうとう3年間の留学までさせてもらい、

額縁の本場で制作と修復を学び

身につけることができました。

 

 

今もテレビでは、イタリアの

ルネッサンス美術についての番組は

様々に放送されています。

出演のとても若いタレントさんが

幼い――でも一所懸命に――コメントを

話している姿を見ると、

当時の自分と重なるような気がします。

そして今の若い人たちが番組を見て

なにかの情熱を持ったかもしれません。

 

人生の方向を決めるきっかけやチャンスは

些細なことで、どこででも出会いますね。

そしてそれは後にならないと分からないのです。

わたしにとっては偶然観たテレビ番組が

いま思えば大きなきっかけのひとつでした。

 

色々な人の「振り返って分かるきっかけ」を

聞いてみたいと思います。

 

 

顔料の製作者とアンジェリコのお好みと。 11月18日

 

先日のテレビ番組で、アドリア海で見つかった沈没船について

いつ、どこの港から出てどこへ向かい、

誰のどんな荷物を積んで誰に送っていたのか

調査する様子を観ました。

その船はルネッサンス時代、ヴェネツィアの総督が

トルコのスルタンの求めに応じて送ったガラスと

その他贈り物を積んでいた船でした。

海中調査し、膨大な資料から探り出し明らかになっていく様子は

とても面白かった!

 

その沈没船の積み荷に顔料もありました。

赤い顔料の辰砂、白い顔料の鉛白でした。

当時ヴェネツィア産の顔料は品質が良いことで

有名だったそうな。

昨年秋にフィレンツェのサン・マルコ美術館の

写本室で観たルネッサンス時代に使われた顔料紹介でも

赤は辰砂、白は鉛白が展示されていたことを思い出しました。


この沈没船はフラ・アンジェリコの生きた時代の100年も後だし

フィレンツェとヴェネツィアは当時ちがう国であったから

可能性はとても低いと思うけれど、想像が膨らんでしまう。

フラ・アンジェリコはヴェネツィア産の顔料を

好んでいたかもしれない、なんて。

どんな人がどんな場所で、どんな道具で

あの顔料を作っていたのかな、その生活はどんなかな、とか。

ヤマザキマリさんが物語にしてくれたら

とてもとても面白そう!と思ったりしております。

 

 

回廊の記憶 4月08日

 

白いアーチの並ぶ回廊

濃い色の空

強いコントラスト

イタリアの画家ジョルジョ・デ・キリコの

描いた風景に似ていませんか。

 

ここはフィレンツェ、捨子養育院の中庭。

美術館となった今、子供はもういません。

 

キリコの風景画は、イタリアの人にとって

どこかで見たことのある風景に感じるとか。

日本人のわたしにとっては

とても特別で不思議な風景でしたが

この中庭で「イタリアには本当にあるなぁ」と

驚きつつ納得しました。

 

 “Mystery and Melancholy of Street” Giorgio de Chirico 1914
Private Collection

 

数年前にリニューアルした捨子養育院美術館は

お客さんがとても少ないのが不思議なほどに

素晴らしい絵画コレクションが、

ギルランダイオの傑作が待っています。

ぜひ晴れた日に来てください。

 

捨て子養育院美術館:Museo degli innocenti

 

 

床いっぱいの暖かさで Buon Natale! 12月24日

 

メリークリスマス!

 

フィレンツェの老舗薬局

サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局にあった

大きなクリスマスツリーです。

幹が見えないほど床いっぱいまで

こんもり茂らせて作られたモミの木は

やわらかく華やかな雰囲気で

お客様を迎えていたのでした。

 

寒波が来ているそうです。

皆さまもどうぞ暖かくして

穏やかなクリスマスをお過ごしください!

 

ランチにバジルペーストを。 6月22日

 

庭のプランターに植えたバジリコ(バジル)が

茂りすぎて森化してきたので、

一株ばっさり収穫しました。


ザルに山盛り一杯。

これは Pesto di basilico バジルペーストを

作らずばなるまい!

空きビンに入れていた松の実と

チューブのすりおろしにんにく

生協のお手頃バージンオリーブオイルで

レシピも無く鼻歌まじりで作ったら

あら、けっこう美味しくできた?

でも片手ひとすくい程にしかなりませんでした。

あんなにあると思ったのにね!

 

自分の忘備として適当レシピ

バジリコ:大きいザルいっぱい

松の実:10粒くらい

にんにく:小さじ1/3

オイル:大さじ3くらい

塩:小さじ1と1/2

松の実はもっともっと増やして良いかも。

きれいな緑色、無添加ですから

塩はちょっと多めにしました。

 

パスタにするのもおいしいですけど、

トーストに塗るのと、ゆでたてホカホカの

タマゴやじゃがいもにつけるのが好きです。

 

それにしてもバジリコの花ってシソそっくり。

さすが同じシソ科なのです。

白身魚のカルパッチョに花を添えたら

おいしいかもしれませんね?

 

 

イタリア人が落とすのは生ハム 6月06日

 

先日、読んでいたものに

「イタリアには『目から生ハムが落ちる』

ということわざがある」とありました。

意味は「目からうろこが落ちる」と

同じだそうです。

 

イタリア人の目からペラリと落ちる

生ハム・・・

一方、日本人の目からはパラリと

うろこが剥がれ落ちる。

その様子をお互いで見てびっくり!

なんて。

 

イタリア人と日本人、どこかで

似た感性を持っているのですね。

なんだか笑いつつ嬉しくなりました。

 

 

トッポジージョの穴 3月23日

 

金箔を水押しで貼り終えたら小さな穴や破れを繕います。

わたしは「つくろい」と言いますが

つまり小さな箔片で穴うめをします。

箔盤に数ミリ角の箔片をたくさん切って準備し、

左手には水用の筆、右手には箔を運ぶ筆を持つと

両手使いで「穴に水を置き箔を乗せる」 という

一連の流れがスムーズに進みます。

イタリア留学時代、額縁師匠マッシモ氏にある朝

“Allora,fai ai topi.”と言われました。

「ネズミをしなさい」?

しばし考えて「金箔の繕いをしなさい」と気づきました。

Topo とはイタリア語でネズミの意味です。

トッポジージョはネズミのジージョなのです。

日本で言う虫食い穴のことをイタリアでは

小ネズミ達がかじった穴と呼ぶのでしょうね。

トッポジージョがクネクネしながら

金箔額縁をかじっている絵を思い浮かべたら

ひとりニヤニヤしてしまいました。

 

 

ブコの額縁 1月08日

 

先日の銀箔額縁に続いて、これもまた忘れられていた額縁。

おまけに作ったのはもっと以前のことです。

イタリアから帰ってきてまだ数年だったころ、

フィレンツェの額縁師匠マッシモ氏に教わった

古色作り方法を試してみたくて作った額縁です。


額縁のタイトルは「kin-buco-1」と付けました。

穴のことをイタリア語で buco(ブコ) と言います。

(本当なら沢山の穴で複数形 buchi ブキとつけるところですが

ブコのほうが音がかわいいので単数で!)

金箔を水押しで貼り磨き、きれいに仕上げたところに

古色付けで木地に届くほどの穴を石膏地に作りました。

磨り出しや傷作りも強くして、穴にワックスを磨り込んで

かなりボロボロ&コッテリ風味の仕上げです。

トライポフォビアの方はイヤかもしれません。


写真やシンプルな版画作品などを入れても

悪くないかなぁ、と思っているのですが

いかがでしょうか。

 

「works」内「classical」にこちらの額縁をアップいたしました。

どうぞご覧下さい。

 

 

№88 Fujiwara No Okikaze 11月17日

 

イタリアのお土産でいただいたチョコレート“Baci”は

イタリアのキオスクでも一粒ずつ売っているような

なじみ深いお菓子です。

baci-2

“Baci”はイタリア語で「キス」の意味だからでしょうか

中には愛のメッセージが一枚入っています。

今日気づきましたが、箱には“Baci”複数形、

チョコレート一粒ずつにはちゃんと“Bacio”単数が印刷されています。

「箱にはキスが沢山入っている」のですものね。

 

わたしが食べたものに入っていた紙片には

“Quanto è grande il mio amore? Prova a contare le onde.”(伊)

“How mauch I love you? Count the number of waves.”(英)

No.88  Fujiwara No Okikaze

とありました。

「我が恋を知らむと思はゞ田子の浦にたつらむ波の数をかぞへよ 」

後撰和歌集にある藤原興風の詠んだ歌です。

イタリアのお菓子に日本の恋の和歌が入っている・・・とても嬉しいです。

イタリアの感覚ではどう受け止められているのか感想も気になります。

 

それにしても、上の和歌を訳すとこうなるのか!

なるほどなるほど。これまた興味深いです。

海外の方は「田子の浦」はご存じありませんからね。

ちなみにイタリア語で日本の古文にあたるラテン語に機械で訳すと

“Quantus est amor meus? Numera fluctus.”

現代イタリア語より短くなって、

より和歌に近い雰囲気に感じます。

 

 

Bocca della Verità a Kamakura 12月14日

 

シリーズにするつもりもありませんでしたが

気づけば第3弾になる“真実の口”シリーズです。

 

今回も田町と同じ占いマシーンと化したトリトン。

Bocca della Verità. (Bocca・・・くち Verità・・・真実)

DSC_6197

右上には「良く当たる!!イタリア製」の文字。

イタリア製?!

「ラブ運 マネー運 健康運 仕事運 生活運」を占えるとか。

5種類も選べる?!

わたしなら何を占ってもらいましょうか。

仕事運もマネー運も健康運も気になるけれど(生活運とは?)

やはりイタリア製の占いならラブ運でしょう。

俄然気になり始めました。

こうなったら100円を握って田町の飲み屋街にある

トリトンに会いに行くしかありません。

・・・挫折しそうですけれど。

 

微笑ましいような物悲しいような

日本の街角Bocca della Verità シリーズ第3弾をお届けしました。

第1弾 http://www.kanesei.net/2011/03/21.html

第2弾 http://www.kanesei.net/2013/10/31.html

 

 

イタリアの小さな工房めぐり 9月17日

 

家族が衝動買いで持って帰ってきた本

「イタリアの小さな工房めぐり」をご紹介します。

イタリアには個人経営の手仕事工房が、今も現役で活躍しています。

こうした工房を紹介する本は沢山でていますが

また新しい本が登場し、手に取ったら最後。

我が家の本棚に加わりました。

bottega-italia (2)

紹介されてる工房は、イコン画工房、聖像工房といった

カソリックの国らしい工房、またはオカリナ工房(オカリナは

イタリアが発祥だとか!)やハンドメイド自転車工房

(さすがジーロ・ディ・イタリア開催の国)なども。

そしてもちろん!フィレンツェの額縁工房が登場です。

bottega-italia (3)

紹介されている額縁工房は、このブログでも何度か登場している

老舗額縁工房 MASELLI(マゼッリ)です。

古典技法額縁の作り方の流れが紹介もされていますし、

イタリアの人たちにとって額縁がどんな存在なのか

マゼッリ氏のお話から感じることができます。

 

作業風景の写真の中で、箔を切っている場面がありました。

箔床(箔台)に金箔を直接乗せず、紙を挟んだまま

ナイフを当てています。

bottega-italia (1)

実際の作業時に紙の上で切るとは思えませんし

おそらく説明するためのポーズと思われます。

 

他にもハープ工房、製本工房に鍛冶工房などなど

訊ねてみたい工房が沢山!

紹介されている工房の半分はトスカーナ州ですので、

この本を片手に気ままな旅をしたいなぁ・・・と

夢を広げています。

 

「イタリアの小さな工房めぐり」とんぼの本シリーズ

著者 大矢麻里

株式会社新潮社

2015年6月30日 第1刷発行

 

 

 

昭和46年8月18日水曜日 8月17日

 

頂き物の骨董には古い新聞が詰められていました。

昭和46年8月18日土曜日の読売新聞です。

今から43年と364日前、夏の新聞。

2015-03-06 16.36.17

7面には映画の紹介がありました。

「-イタリアのメロドラマ- ベニスの愛 近く公開」

2015-03-06 16.36.48

古い映画です。初めて聞いたタイトルでしたが

ヴェネチアが舞台の映画ときたら!早速観てみました。

イタリアでもヒットして、いくつも受賞したとか。

anonimo-veneziano

今は別れて暮らす夫婦が数年ぶりに会って

お互いに探るような質問をして道端で激しい口論をしたかと思えば

しあわせだったころの思い出話をして笑いあったり。

展開はゆっくりですが、過去と現在の行き来、喜怒哀楽の激しさで

観ているわたしは感情がついていけない場面もちらほら。

ほとんどのシーンがふたりの会話で進んでいきます。

やがて夫が不治の病で余命も短いことを打ち明けて・・・。

 

これぞメロドラマ中のメロドラマ。

音楽も舞台も設定も なにもかもがロマンチックなのでした。

わたしが好きなマルチェッロのアダージョが使われていますが

以前お話した映画「ソフィアの夜明け」にも

バッハの編曲によるコンチェルト974をグールド演奏で使われました。

この「ベニスの愛」でも「ソフィアの夜明け」でも

とても大切なシーンで使われている曲です。

たしかにとても心揺さぶられる曲なので

この曲の持つ力も感じられるのでした。

Anonimous_venetian

この映画、邦題は「ベニスの愛」ですが

オリジナルは「anonimo Veneziano」

訳すと「名も無いヴェネチア人」とでも言いましょうか。

この違いも面白いですね。

 

昭和46年の夏 この映画を映画館で見た人たちは

どんな感想を持ったのでしょうか。

原題の意味も知る機会があったでしょうか。

なににせよ、この映画を観てヴェネチアへの旅に出た人も

きっといたはず!と思っています。

 

 

もうですか? 11月10日

 

11月になってすぐ 近所のスーパーマーケットへ行ったら

すでに山積みになっていました。

イタリアのクリスマス菓子 PanettoneとPandoroです。

さっそくひとつ買い物かごへ入れました。

クリスマスのいろいろ商戦 年々早くなっている気がします。

きのう通りかかったお宅では すでにイルミネーション点灯していました。

pane

「もうクリスマスの準備でパネトーネですってよ 天使ちゃん!」

「待ちきれずにクリスマス前に食べちゃうでしょ きっと!」

 

 

Bocca della Verità a Tamaci 10月31日

 

田町にあるイタリア料理店の前でみつけた“真実の口”

Bocca della Verità.

数年前に渋谷で見つけたバージョンは

ただのオブジェでしたが

http://www.kanesei.net/2011/03/21.html

こちらはなんと 占いマシンなのでした。

それも手相占いですって!

古代ローマにも手相占いがあったのか

そんなことは関係ないのです。

kako-ZH2HI7LJXegMhQNl[1]

100円を入れれば トリトンが口の中で手相を占ってくれる・・・

“真実の口”から出される答えなら 当たっていそうですが。

こんど気が向いたら ひとりきりの時にでも占ってみます。

 

ファイル:Bocca della verita.jpg

(wikipedia よりお借りしました)

ちなみに上の写真がローマにあるオリジナル

“真実の口” Bocca della Verità

田町のほうが怖そうな顔ですね。

オリジナルは・・・何百年も人々の「嘘と真実」を見て

達観したかのような表情。

 

 

くちなしの花の香り 6月17日

 

先日 雨がまだ降っていないカラ梅雨の頃に

駅からの帰り道では そこかしこのお庭から

くちなしの花の甘い香りが漂っていました。

香りのある花は 形が見えなくても確かな存在感があって

「ああ 今年もこの花の季節がやってきた」と強く思います。

800px-Gardenia_jasminoides_in_Mount_Yagi_2008-06-13[1]

くちなしの花で毎年思い出すのは 映画「旅情」です。

1955年公開の キャサリン・ヘプバーン主演作品。

舞台は初夏 くちなしの花の季節のヴェネツィアです。

この映画でふたりの男女が出会って 初めてのデートのシーン

そして最後の別れと旅立ちのシーンで

男性から女性へ くちなしの花が贈られるのです。

(正確にはラストシーンでは渡せないけれど。)

男性が女性へ贈る花と言えばバラをイメージしますが

小枝に一輪咲いたくちなしの花を贈るシーンが新鮮で

「ちょっとした贈り物」の感じがとても印象的でした。

 

この「旅情」は 大学時代にイタリア語の教授が

紹介して下さったのですが

「ヴェネツィアを舞台にした映画は沢山ありますが

『旅情』が一番ヴェネツィアらしい雰囲気が表現されています」

と話しておられたのが知るきっかけでした。

映画の中の明るい初夏の日差しと輝く海 賑やかな広場や明るい人々

そしてロマンチックで切ない物語・・・

わたしにとって今も 繰り返し観る映画のひとつです。

124566656395016416702_MP008

 

 

 

francobolloはどこから来たのか 4月22日

 

ふらりと立ち寄った地元の文房具店で見つけた

イタリアモチーフのシールには

ミラノ・ヴェネツィア・フィレンツェ・ピサ・ローマ

5都市の古い写真や図柄を切手風に仕立ててあります。

見付けたとたん握りしめてレジへ直行!でした。

ピサの斜塔 ヴェネツィアの大運河 ミラノのドゥオーモ

ローマ建国神話のロムルスとレムス そしてフィレンツェのヴェッキオ宮・・・

francobollo2

今は無きイタリア通貨「リラ」の切手シールもありました。

留学当時 イタリアから日本へハガキや手紙を送る際に

いつも使っていた切手650リラがあって感激でした。

下の写真の赤い半円アーチの切手(シール)です。

francobollo1

ちなみにイタリア語で切手は francobollo(単)フランコボッロと言います。

フランス語 スペイン語 ポルトガル語にラテン語

はたまたクロアチア アルバニア チェコ チュニジア・・・

いずれの国でも francobollo と近しい単語で

切手を指す言葉はみつけられませんでした。

いったいどこから来た単語なのでしょうか??

 

 

審判の歯 2月04日

 

突然ですが 親不知の歯はありますか?

 

イタリア留学中に 右下顎に生えかけていた親不知が

突然痛み出して 歯医者さんに駆け込んで

抜いてもらったことがあります。

とても腕の良い大学病院の先生で

変な角度に生えていた歯はすっかり抜けました。

 

ところで・・・

イタリア語で親不知の歯を何と呼ぶかというと

「審判の歯」(Denti del giudizio) と言います。

(denti・・・歯(複) giudizio・・・審判)

なんとも重々しい名ですね。

生えるか生えないか・・・知る由もなく

審判を受けるようなこと ということでしょうか。

親不知が痛み出したころ ミケランジェロのフレスコ画「最後の審判」を

イタリア語で「Il giudizio universale」と呼ぶことを覚えたばかりで

親不知と一緒になって忘れられない単語になりました。

 

 

Cannolo 11月12日

 

お皿に乗って 薄紙からのぞく真っ赤な目玉。

シチリアの伝統菓子「cannolo」(カンノーロ)です。

サクサクの生地にリコッタチーズのクリームがたっぷりで

チェリーが飾られています。

軽い食感につられますが カロリーは相当なもの・・・。

分かっちゃいてもやめられない美味しさ。

 

包を開いてみても

両側に真っ赤な目が付いた

ひょうきんな顔のお菓子でした。

 

 

 

使う目的は無いけれど 11月24日

 

イタリアのフィレンツェに住んでいたころ

月に一度 アパートの近所にある広場で

アンティークマーケットが開かれるのを楽しみにしていました。

本物の骨董品から いわゆる「古いだけの雑貨」まで

ありとあらゆるものが山積みになって売られています。

何も買わなくても さまざまな雑貨を手に取って眺めたり

古い児童書を立ち読みしたり (今思えば迷惑でした・・・)

にぎわう雰囲気も楽しい市場でした。

その中でも 壊れた家具や部品を売っている店を見るのが楽しくて

あっという間に時間が過ぎてしまいます。

家具の修復を勉強していると言うと値引きしてくれたり。

 

下の写真の彫刻は 山積みの部品の中から買い求めたものです。

おそらく家具の側面にあった装飾でしょう。

対になっていたはずですが ひとつしか見つかりませんでした。

買ったのは良いけれど使い道もなくて

(そもそも「使う」必要もないのだけれど)

いまは作業部屋の棚の上に飾っています。

彫刻職人の手彫りの跡を見ると

気持ちも暖かになります。

 

antique11

 

 

教会前広場にて 前世紀の初夏 5月19日

 

フィレンツェのサンタ・クローチェ教会前の

広場から撮った写真です。

見上げた空はこんなに青かったのですね。

輝く街灯の装飾 真っ白な雲はハート型。

時期は忘れました。

きっと留学最後の年 1999年夏の始まりだったと思います。

sora

.

わたしの額縁 故郷 4月28日

 

イタリア フィレンツェのサンタクローチェ教会から

程近いところにある額縁店。

マッシモ・フランカランチ氏の工房兼お店です。

このお店の奥にある工房で毎日4時間

額縁製作を手伝い 学びました。

bottega-1

整理整頓もあまりされておらず 目立つお店ではありませんが

個性があり 職人を近くに感じられる穏やかな

そんな工房兼お店です。

 

わたしの額縁製作の出発点。

bottega-2

Corniceria dell’Agnolo di FRANCALANCI M.

VIA DELL’ AGNOLO 17 R
50122 – FIRENZE (FI)

.

セピア色のサンタ・クローチェ教会 4月18日

 

変色した古い写真葉書は アンティークショップで偶然見つけました。

イタリア・フィレンツェにあるフランチェスコ会のバシリカ 

サンタ・クローチェ教会です。

 

教会の左側の道から広場を突っ切って

Borgo Santa Croce (サンタ・クローチェ通り)にある学校

“Palazzo Spinelli” へ通っていました。

撮影した時期は不明ですが 私の記憶にある

サンタ・クローチェ教会と変化は見つかりません。

思い出深い場所。

どんどん遠くなる記憶・・・

firenze-chiesa-di-scroce-monumentoa-dante

Bocca della verita 3月21日

 

東北関東大震災から10日目。

停電や交通機関の乱れ等続いていますが

東京での生活はほぼ日常に戻りました。

元気な私たちがしっかりと頑張らねば・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

渋谷でみつけた“真実の口”

Bocca della Verità.

本場ローマのものよりも目が寄り気味です。

日本風に歌舞伎の見得を真似てみたのでしょうか??

bocca-della-verita

「よっ 羅馬屋!」

.

不思議絵葉書 5 1月20日

 

水の都ヴェネツィアにあるカフェ・フローリアンは

1720年創業 ヴェネツィア最古のカフェです。

インテリアもとても優雅で 美術館のよう。

この絵葉書の部屋は「中国の間」と呼ばれているとか。

一見 美しい部屋を広告用に撮影した写真に見えますが

じっと見ていると 不思議な感想が沸いてきます。

誰ひとりおらず 真空になったような空間

ガラス越しに撮影したせいで 写りこんだらしい

奇妙な2点の光

薄暗い天井の角の陰

壁に描かれた絵の 空の異様な青さ…

正面の鏡には 写るべきはずの

撮影者の姿は見えません。

caffe-florian

Caffe Florian, VENEZIA-Piazza S.Marco

薔薇の雫 12月02日

 

薔薇色のちいさな粒には

甘いシロップが入っています。

ほんのりと薔薇の味。

イタリア北部の街 ジェノヴァにある老舗が

一粒ずつ丁寧に作った伝統菓子です。

見た目の愛らしさもさることながら

寒い日に口に入れれば 少しだけ

心が温かくなるような そんな味でした。

romanengo

Pietro Romanengo

イタリアで知った味 10月07日

 

イタリアからのお土産でいただいたのは

黒トリュフの香りのオリーブオイルと

ケッパーのペーストです。

どちらもパンにつけてシンプルに味わっても

パスタのソースに使っても美味しいとか。

ケッパーの美味しさはイタリアで知ったと言っても

過言ではないわたしです。

秋は まず食欲から!

da-mercato

 

 

緑白赤 8月16日

 

真っ赤なさくらんぼがのったタルトは

ピスタチオの緑色と 粉砂糖の白で

イタリアの国旗を思わせます。

 

イタリアの料理は季節ごと 地方ごとに特色があり

ご存知のようにとても美味しい料理です。

日本料理とどちらが美味しいか?などというのは

比べるよしも無く 愚問ですね。

でもケーキ類だけは・・・

わたしは日本のケーキが好きです。

自分の生い立ちを実感させられます。

la-torta1

私にとってのフィレンツェ 7月26日

 

「イタリアはあなたの第二の故郷でしょう?」

と先日友人に言われました。

その時は否定したのですが

思い返してみればやはりイタリアは・・・フィレンツェは

わたしにとっての第二の故郷と言えるようです。

3年間という短い時間を過ごした場所ですが

日々の生活のすべて 楽しいことと辛いことを凝縮して

経験することが出来た場所は特別です。

いまも道半ばですが

わたしという人間を成長させる足がかりをくれたフィレンツェは

故郷と呼ぶにふさわしい場所なのかもしれません。

 

パリやロンドン ニューヨーク・・・

留学先の候補に挙がりそうな場所は沢山あったのに

まったく迷いなくフィレンツェに決めました。

人と人がご縁で導かれ 引き寄せられるように

人と街のご縁もあるだ と思う他ありません。

フィレンツェを第二の故郷と思える私は

とても幸せです。

 sora2-1

Che cosa e`? 7月22日

 

che

真っ白でみずみずしく なめらかな艶のあるもの。

これは一体何でしょう? ”Che cosa e`?”

 

165-23

玩具南瓜の一種か未確認生命体の幼生ようですが・・・

答えは 白ゴーヤ でした。

我が家の庭で「緑のカーテン」として活躍中の

白ゴーヤが実りました。

一般的な緑のゴーヤに比べて水分が多く苦味が少ないので

桜海老やきゅうりと酢の物にしてシャキシャキと頂きました。

強烈な日光を柔らかく遮り 収穫の楽しみや

美味しさも届けてくれるゴーヤのカーテン。

これから毎夏の楽しみになりそうです。

 

ゴーヤはイタリア語で何というのでしょう。

zucchine amaro なんて言うのでしょうか。

(amaro・・・「苦い」「苦味のある」)

ちなみに大根は daikon と日本語で

白菜は Chinese Cabbage とこちらは英語で

市場で売られていたのを見たことがあります。

イタリアのマンマ達はこの外来野菜をどのようにして

調理していたのか 今頃気になっています。

格子窓の風景 送らなかった便り 12月11日

 

イタリアに住んでいた頃はコンピューターを持っておらず

日本の友人には手紙や葉書を書いていました。

友人を思い浮かべながら 一枚一枚ペンで書く便りは

PCメールより気持ちが篭もっていたようです。

また日本から届く手紙も 海を渡って来たかと思うと

ひときわとても貴重で大切な物に思えました。

当時の手紙はすべて大切にしまってありますが

まだ読み返す気持ちにはなっていません。

おそらく・・・お婆さんになった頃に 穏やかな気持ちで

なつかしく切なく読み返し 思い出に浸ることができるでしょう。

 

先日どこから迷い込んだのか 引出しの中から

フィレンツェで買って結局出さなかった葉書が出てきました。

パラッツォ・ベッキオの格子窓からドゥオーモを見た風景葉書。

今はもう存在しない通貨「リラ」の切手800リラが貼ってあります。

ジャズフェスティバルの記念切手のようです。

hagaki-21

でも 良く見ると端に画鋲の跡が。

切手も貼って準備したけれど この写真が気に入って

結局使わずに部屋に飾った記憶が蘇ってきました。

何を書いて誰に送ろうと思っていたのか・・・。

hagaki-13

今でもこの葉書の写真をみると

フィレンツェでの良い思い出も辛い記憶も

さまざま思い出されるようです。

船に揺られて その3 11月10日

 

水の都で船に揺られてシリーズ最終回は

ヴェネチアでは無くてはならない乗り物 ゴンドラです。

観光で訪れたら なにはさておきゴンドラに一度は乗ってください。

大運河カナル・グランデから細く迷路のような水路を縦横無尽に

ひっそりと音も無く進むゴンドラに乗るのは

ほかのどこの街でも体験できない情緒です。

以前こちらのブログhttp://www.kanesei.net/2009/07/08.html

お話した「見上げながらの散歩」のように

ゴンドラでも上を見上げてみることをお勧めします。

ルネサンス時代から変わらない建物に挟まれた薄暗い水路で

水音と櫂の漕ぐ音の反響を聞きながら

いにしえの時代に思いを馳せるのです。

gondola

船に揺られて その2 11月09日

 

ヴェネチアの交通手段でひきつづき。

大急ぎのとき なおかつお金に余裕があるときには

水上タクシーという手段もあります。

ゆっくり進むヴァポレットや 観光客を乗せたゴンドラを尻目に

モーターボートの快調なスピードで進むのは爽やかです。

何世紀も昔からかわらない建物の間を駆け抜けると

まるでモーターボートが密封されたカプセルになって

自分だけ時間の進み方が高速になったような感覚になりました。

taxi

船に揺られて その1 11月08日

 

水の都ヴェネチアを観光するには 歩くのが一番ですが

ちょっとした移動には水上バスを使います。

vaporetto 「ヴァポレット」と呼ばれており 

市民にも観光客にも大変便利な移動手段です。

船ならではのゆったりとした気分も味わえて

移動目的だけではなく 大運河の眺めを楽しめます。

 vaporetto

朝早い時間に乗った時 まだ静かな運河の上には

霧がうっすら立ち込めており その両側に浮かび上がる

ヴェネチア特有のゴシック調の邸宅は

朝日を受けてピンク色の靄に包まれていました。

あの美しさは忘れられません。

viva nutella! 9月13日

 

ヌテッラ。イタリアで生活したことのある方は

おそらく一度は目にしたことがあるであろう「nutella」です。

ヘーゼルナッツとチョコレートのスプレッド。

味はご想像の通りです。

パンにつけて食べるのはもちろん

街の小さなお菓子屋さんではヌテッラクリームのパイ

「la torta di nutella」なんて物も普通に売られていたりします。

おそらくイタリアの人達にとっては

幼い頃の記憶と強く結びついた食べ物だと思います。

こんなビン入りだったり アニメのキャラクターが

印刷されたコップ(食べ終わったらコップとして使える)で売られていて

子どものいる家庭で常備していないところは無さそうです。

イタリアでたった数年間暮らしただけの私も

この「nutella」のロゴを見ると懐かしさで一杯です。

 

だんだん涼しくなって チョコレートが益々美味しい季節ですね。

nutella

M&P 9月03日

 

フィレンツェには額縁工房が想像を超える数存在します。

また額縁制作にともなう木工所や彫刻工房なども含めると

大きくない町なのに額縁に関りのある職人さんは驚くべき数です。

それだけ需要があるということなのですね。

そのような環境の中でも 東洋の女性留学生を

受け入れてくれる額縁工房がいくつあるかといえば 

残念ながらそう多くはないのが現実でした。

第一に家族や個人単位の極少数で経営する工房が多いこと

そして当然ながら学生を受け入れれば

余計な仕事も負担も増えると考えるのが当然です。

わたしを受け入れてくれたマッシモ氏の工房も

マッシモ氏とパオラ夫人の二人で作業を進める小さな工房です。

今思えば ある日突然「額縁制作の勉強をしたいから

手伝わせて欲しい」などと図々しく押し掛けて行ったわたしを

よくぞ受け入れてくださったことと改めて感謝の気持ちで一杯です。

 

わたしが通っていた専門学校では2年生になった時から

工房で実地の修行をすることを奨励していました。

もちろん無給ですが商売の現場に乗り込むわけです。

とは言え学校が工房を紹介するわけでもなく 学生自身が

目指す工房を直接訪ねて(それこそ自己責任で)許可をもらいます。

マッシモ氏の工房はサンタ・クローチェ教会近くの住宅街の角に

小ぢんまりとした店構えで佇み ショーウィンドウには

アンティーク加工した色とりどりの額縁大小が並び

そして店のカウンターにはヒゲ面ギョロ目(本当なのです・・・)の

マッシモ氏が仏頂面で接客しているのでした。

ドアを開けるときの緊張を今も思い出します。

その日から留学を終えて帰国するまでの2年以上の日々

毎日半日をマッシモ氏の工房で過し  額縁に接し

学校では学べないことを教えて頂だくという

今のわたしを形作る何物にも変え難い時間を過すことが出来ました。

工房外でもまるで両親のように心配し イタリアで暮らす上での

諸々のことを教えてくださいました。

mp

帰国する挨拶に工房に伺うと マッシモ氏が工房の奥から

ひとつの額縁を持ってきて贈って下さいました。

それがこの額縁なのですが・・・

工房にお世話になり始めたばかりの頃 まだ覚束ないわたしに

この額縁の彩色装飾の仕事が与えられました。

完成はさせたものの 堅い線から自信の無さがにじむ結果に。

結局お蔵入りになってしまった苦い思い出の額縁でした。

挨拶のその日 マッシモ氏がアンティーク加工をして仕上げ

裏にご夫婦でメッセージを入れて記念に持たせてくださったのです。

口数の少ないマッシモ氏の「初心忘れるべからず」とのメッセージのような

思い出が沢山つまった額縁です。

mp2

「裏通り」ならぬ・・・ 9月02日

 

ヴェネチア住宅街の「裏通り」ならぬ「裏水路」です。

こうした細い水路が家々のすぐ裏にもあります。

自家用車やオートバイを路上駐車するかのように

ここではボートが水路上駐”船”しています。

水路のうえに洗濯物を干していますが

なかなか乾かないでしょうね。

venezia-1

二十歳の思い出  誕生日に寄せて 8月30日

 

古いフィレンツェのハガキです。

裏面に1930年とありますので 80年近く昔の様子。

ウフィツィ美術館前からポンテ・ヴェッキオに通じる川沿いの道です。

写真に写っているお店はジュエリーか銀製品のお店のように見えますが

10数年前の私の記憶では・・・ジェラートのお店に替わっていました。

お店の右側の低い塀に腰掛けて初めてフィレンツェで食べたジェラートの思い出です。

20歳になる8月 とても暑い夏でした。

フィレンツェの街はお店が入れ替わっても建物や道は変わらないまま。

でも確実にわたしの二十歳の思い出のフィレンツェとは変化があるはずです。

そしてわたしもこの思い出の当時から過した歳月のあいだに

数多くの経験と出会い 失敗や成功を繰り返してきたわけですが・・・

良いこと悪いこと それら全てが今のわたしを形成しているのだ!と

今更ながら感じることが多くなってきたこのごろです。

10年後の自分のためにも 今を大切に生きなくては。

card-firenze1

2009年の夏はそろそろ終わりですね。

移動彫刻師 8月24日

 

フィレンツェのサンタ・クローチェ広場で見かけた彫刻師です。

リヤカーのような移動できる台車に乗せています。

ルネッサンス時代の衣装をまとって 使う道具も昔風。

弓にキリを取り付けた穴あけの道具のようです。

きっと大理石彫刻工房の宣伝ですね。

彼はなにかを説明するでもなく もくもくと作業をしており

衣装の派手さと対照的な朴訥とした様子が

また職人らしいと言いますか・・・。

夏の観光客にとって面白い小さなショーでした。

intaglio

下町の風景 8月21日

 

水の都ヴェネチア・・・優雅で情緒溢れる街です。

観光で訪れた方も沢山いらっしゃるのではないでしょうか。

街の中心はサン・マルコ広場周辺ですが

もっと東の方へ足を伸ばしてみたことがあります。

カフェの常連客のおじいさんや小ぢんまりした教会前広場で

駆け回る子供 その様子を見守るお母さんなど

観光客もおらず そこで生活している人々の息づかいが感じられる地区です。

こんなところまで観光客の私が入り込んでしまって

現地の方達の日常を邪魔してしまったかもしれません。

 

道を挟んで窓から窓へ洗濯物を干す風景は

イタリアの下町でよく見かける風景ですが

まるで運動会の万国旗のようにカラフルに大量の洗濯物が

(モノクロのフィルムしか持っておらず残念でした・・・)

はためく様子が可愛らしく とても平和な気分になりました。

venezia-2

静かな別世界 8月04日

 

フィレンツェは街全体が世界遺産に登録されているとおり

街並みは美しく 古い建物も大切にされています。

私が住んでいた家から修復学校への通学路は

フィレンツェの名所旧跡のダイジェスト版ツアーのようなものでした。

サンタ・クローチェ教会の横を通りバルジェッロの角を抜ける日もあれば

シニョリア広場を通ってポンテ・ヴェッキオを渡る日も…といった具合です。

フィレンツェの象徴であるドゥオーモを目にしない日はありませんでした。

いま改めて 贅沢な時間を過ごせたことを感謝しています。

そんな毎日の生活の中で一番身近だったのはサンタ・クローチェ教会です。

イタリアの教会はどこもそうですが 外の明るい日差しに比べて

内部は驚くほど空気が違います。

薄暗くひんやりとしています。

別世界のような静かな空間に座っていると

外国生活で疲れた心も徐々に落ち着いてきたのでした。

教会前の広場では友人達と座り込んで何時間もお喋りをした

フィレンツェの中でも私にとってとても思い出深い場所です。

下の写真は夜にライトアップされたサンタクローチェ教会。

暗闇に堂々と建つ白い大理石のファサードが美しく見られる時間です。

scroce

石畳に映る風景 7月22日

 

フィレンツェの住宅街はアスファルトが敷かれている道もありますが

街の中心部ではほとんどの道が石畳です。

車に乗っても自転車に乗っても 石畳のデコボコが

明確なリズムになって身体に伝わってきます。

でもハイヒールで歩くのはあまりお勧めできません…。

 

古い石畳には長年の風雪と人馬の脚によって出来たであろう

窪みがそこかしこにあります。

雨が降ると水たまりにもなります。

雨の日の昼過ぎにウフィツィ美術館前にあった水たまりを見たら

パラッツォ・ベッキオの塔が映っていました。

pioggia

今日の東京 日食は観られるのでしょうか・・・?

羽のゆくえ 7月16日

 

フィレンツェで古典技法額縁製作の修行をさせて頂いていた

マッシモ・フランカランチ氏の工房があるのは

サンタンブロージョと呼ばれる教区の一角です。

これはサンタンブロージョ(サント・アンブロージョ)教会のある地区という意味。

マッシモ氏の工房ではもちろん新しい額縁を作るのがメインの仕事ですが

サンタンブロージョ教会の聖具を修復することもあります。

古い蜀台がいくつもいくつも運ばれてきたりしました。

ある日工房へ行ってみると何か彫刻の一部なのでしょうか

羽の一部のようなものが並んでいました。

それほど古い物ではなさそうですが とても美しい羽でした。

あまりに綺麗なので写真を撮らせてもらったのです。

そしてある日 忽然と工房から消えていました。

私がいない間に作業が終わって返却されたのですが

まるで飛んでいってしまったようで寂しい気持ちが残ったものです。

結局この羽は何の部品なのか どこから来たのか 聞きそびれてしまいました。

サンタンブロージョ教会の天使の彫刻の部品だったのかも謎です。

聞かなかったことを今も後悔しています。

piume

足音を聞きながら 7月08日

 

イタリアのフィレンツェでの留学から帰国してもう10年近くになりますが

今も当時の記憶は鮮明です。

3年間という長いような短いような濃い時間を過ごした思い出は

現在の東京生活でも音や匂い メディアで見かけたりとふとしたことで蘇ります。

先日もテレビでヨーロッパの町の様子が放送されていました。

観光客を相手に営業している馬車の場面でした。

私が暮らしていたフィレンツェにもこの馬車をはじめ

騎馬警官を毎日のように見かけることが出来たのです。

街中に馬がいる様子は私にとって新鮮で楽しい風景でした。

フィレンツェに限らずヨーロッパの古い町並みは数百年前から

変わることの無いよう景観を保存する努力がされています。

最新流行のブランドショップが並ぶ街角でも

ふと見上げれば中世~ルネサンス時代と変わらない建物が目に入り

当時も聞こえていたであろう人々の賑やかな話し声

そして通りすがりの馬車や騎馬警官の馬の足音が聞こえてきます。

まるでタイムスリップをしたような不思議な感覚でした。

そんな風にちょっと上を見上げながら耳を澄ませて

一人空想に浸りながら散歩をするのはとても楽しい贅沢な時間です。

cavallo