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お姫様じゃなかった 8月30日

 

すこし大きめの小箱木地を買って

さてどうしたものかと眺めていたのですが、

「凝りに凝った細工」に挑戦してみたくなり

さまざまな技法を詰め込んだ小箱を

つくりました。

 

イメージは、ルネッサンス時代の

どこかのお姫様の嫁入り道具、で開始しました。

お母様から受け継いだ特別な宝石を入れて

嫁入りの一番大切なものとして胸に抱いて、

家族や使用人たちに見守られながら

迎えの馬車に乗り込んで実家を出る朝・・・とか。

いや、妄想を繰り広げるのはいつものこと。

お許しくだされたし。

 

それで出来上がったのがこの小箱です。

石膏盛り上げ装飾(パスティリア)に

茶色ボーロ、全面純金箔のメノウ磨き、

刻印装飾と卵黄テンペラの彩色

(濃い緑灰色、臙脂、薄い灰褐色)

そして少しの磨り出しにアンティーク仕上げ。

ルネッサンス時代の技法に忠実に制作しました。

 

▲箱の外側寸法 77×77×59mm

 

▲今回は内部は茶色の木地仕上げにして

布を貼り込むのは止めてみました。

 

なかなか重厚で趣のある小箱になりました。

・・・のですが。

お姫様要素が感じられません。

色選びでしょうか。

内部にバラ色の布を貼るべきでしたでしょうか。

そもそものデザインでしょうか。

 

なんだかお姫様というか、おじさん風。

それもちょっと陰謀めいた雰囲気とか。

中にはドゥカート金貨かフローリン金貨が

詰め込まれていて、絹の裏打ちをした黒い袖から

真っ赤な枢機卿の衣装の懐へ静かに滑り込む。

・・・とか!

 

どうもわたしが作る物は、図らずもたまに

おじさん風味になることがあるようで

自覚しておこうと思います。

 

なににせよ、とは言え、まぁとにかく。

この小箱はちょっと自信作であります。

いかがでしょうか。

 

 

Firenze 2020-24 8月26日

 

オニッサンティ教会のほど近くに

Giovanni Baccani (Blue shop) という

とても素敵なお店があります。

 

版画と額縁、小箱などちいさな木製品を扱う

家族経営の小さな美しいお店です。

 

▲外からでもその美しさに期待が高まる

 

店内には所せましと額装された版画作品や

木製品が並び、中央には古い版画がたくさん。

植物、建築、風景、人物・・・ありとあらゆる版画。

▲もう、全部ほしい。

 

そして手の込んだ彫刻額縁もあるのです。

▲いかにもフィレンツェ!な額縁の数々。

アンティークかアンティーク風かどちらか?

 

お店の奥には細い廊下があって

その奥には工房があるのでした。

 

▲廊下にも素敵なものしかない。

 

▲工房で作業中のおふたり。大きな窓も美しいです。

床も壁も、天井のアーチも何もかも。

こんな工房で作られたもの、美しくないはずがない。

 

わたしはお土産の小箱や手刷版画の

カードなどを買ったのですが、

それら商品を丁寧に丁寧に包んでくださる。

その包み紙もまた、もったいないような紙です。

▲青いお店に立つ真っ赤なセーターのおじい様が

不器用ながらも丁寧に包んでくださるのでした。

笑顔がかわいすぎて悶絶したわたし。

まるで物語の中のお店のようでした。

 

このお店の商品も人もまるごと全部

ドールハウスのようなミニチュアと小人に変身させて、

お店にぎっしり詰め込まれた美しい品々と

せっせと働く小人になったお店の方々を

わたしは日がな一日、上からこっそり

覗き込んで眺めてみたい・・・という

妄想が膨らみました。

 

浮世離れした童話のような世界のお店。

ぜひぜひ、皆さんにも訪問して頂きたい。

その日が早く来ますように。

 

Giovanni Baccani Blue shop

 

 

絵画修復に向き合う 8月23日

 

絵画修復というのは、じつに

地道な作業の連続であります。

 

Tokyo Conservation のスタッフとして

油彩画修復もしておりますが

大きな作品になると

キャンバスの裏面のアイロンがけで

一日が終わる、なんてこともあります。

 

裏面からアイロンで亀裂を緩やかに伸ばします。

裏面の裏面、つまり表側には「絵がある」を

つねに意識しつつ慎重に作業を進めるのです。

 

下ごしらえも必要で、これは修復に

限らずいろいろな仕事に言えることですけれど、

下ごしらえの良し悪しで仕上がりが左右されます。

 

▲ストリップライニングと呼ばれる、キャンバスの

耳を補強するテープを作っています。

これも大切な下ごしらえのひとつ。

 

修復作業をするには安定した心身

——イライラせず飽きずに淡々と―—が

大切ですので、修復を仕事とする人たちは

精神状態の波をゆるやかにする術を持つ

朗らかな人が多いように思います。

(なかには八つ当たりしたり不機嫌を表す修復家も

いるのでしょうけれど。人間だもの。)

わたしはそんな穏やかで楽しい人たちに囲まれて

作業をすることができています。

人間関係のストレスが無い職場ほど

幸せなことは無いかもしれない、と思います。

 

学校の教室4つ分くらいの広大な部屋で

数人のスタッフが各々の作業を黙々と進める。

そこには静寂しかないのだけど

不思議と空気は張りつめず、明るい雰囲気が

ただよっているのです。

 

そんな訳で、終わりが見えないコロナ禍で

ドンヨリオロオロするわたしにとって、

絵画修復の仕事に向き合い過ごす時間は

ある種穏やかな精神統一のような、

瞑想に近い時間になっています。

 

 

Firenze 2020-23 8月19日

 

先日、額装したイタリアの

古い鉛筆デッサンをご覧に入れましたが

あのデッサンはおそらく彫刻師が

これから作る作品の下絵として

描いたものと思われます。

ベッドのヘッドボードかドア

あるいは大きなタンスの扉など・・・

 

フィレンツェのわたしの彫刻師匠

グスターヴォさんの工房でも見せてもらいました。

▲背の高いグスターヴォさんが

隠れてしまうような大きさ。

このデッサンですでにひとつの作品になっている。

 

これはテーブルのデザイン画。

実物大なのかもしれません。

側面からの図がメインで、左右には

真上から見たデザインも描かれています。

 

彫刻は、頭の中で完成した姿を

3Dの立体図で頭に入れておく必要があります。

こうしたデッサンでイメージを膨らませ

頭の中で、ありとあらゆる角度からの

姿を具体的に「見える」ようにしないと

実際に彫り進めることはできません。

 

そしてこうした図は、ご注文主に

完成した姿を理解してもらうためにも

必要なものです。

 

▲工房の片隅に会った作品。

「これの絵もあったはずなんだけど・・・」

と探してくれましたが見つからず残念。

縦60㎝はあるような作品でした。

このサイズを彫るには男性の力が必要!

 

彫刻師は絵も描けなくてはならぬ。

その点、ミケランジェロは

どちらも天才だったわけですね。

じゃぁレオナルド・ダ・ヴィンチが

彫刻をしたらどうだったんだろう??

と想像してみたりして。

きっと繊細で神々しく美しくて

この世の物ならぬような彫刻作品が

生まれていたのではないでしょうか。

ただ彼は他にしたいこと、すべきことが

ありすぎたから彫刻をしなかった

と言うだけで・・・。

見てみたかったなぁ、と思います。

 

 

イタリアデッサンの額縁 8月16日

 

6月末に途中経過をご覧いただいた

デッサン額縁が完成しました。

麻布を貼り込んだマットを使って

イタリアの古い鉛筆デッサンを額装して

一段落でございます。

 

 

今回のデザインは額装するデッサンの

一部分にも使われている形を採用しました。

U字の連続模様は額縁や建築にも

よく見られるデザインです。

四隅には花模様を彫りました。

 

 

茶色に塗ってワックスでアンティーク風に

加工しただけの、シンプルな額縁ですが

やはり額縁は中に作品をいれると

落ち着くと言いましょうか、

額縁本来のすがたになります。

 

 

いかがでしょうか。

 

「works」内「classical」にこちらの額縁をアップいたしました。

どうぞご覧下さい。

 

 

庭にないなら 8月12日

 

先日、ルドゥーテの薔薇の

小さな模写が完成しました。

 

 

大輪の花びらが幾重にもなった

「これぞ薔薇」の花ではありませんが

一重で原種に近そうなシンプルな

そんな花もとても好きです。

 

 

もう夏真っ盛りになって

蝉が飛び交う我が家の庭には

(蝉爆弾炸裂で悲鳴を上げる日々)

薔薇など一輪もありませんので

絵で再現してしまえ、と言ったところです。

 

 

小箱4 8月09日

 

金箔シリーズ、ひとまず最後の

ご紹介は豆小箱3つです。

 

豆小箱は以前にもいくつか

まとめてご覧いただきましたが

ちがう趣で再度登場でございます。

写真の一番上のものは

純金箔をメノウ磨きしたまま、

アンティーク風にもせず

つやつやピカピカです。

中世~ルネッサンス時代に

作られた当時のような雰囲気です。

下ふたつにはワックスを使って

アンティーク風の仕上げをしました。

木地にボローニャ石膏

パスティリアと線刻、点刻で装飾

赤色ボーロに純金箔水押し

メノウ磨き

 

外側寸法:34×34×23mm

 

この小箱がどの程度に「豆」

かと申しますと、

指輪はまっすぐ入らない。

斜めにすると、ある程度の

装飾付き指輪がはいる、

そんな感じです。

小さいものがお好きな方には

たまらない可愛さのサイズです。

プロポーズに、記念日に、

贈り物をしのばせて

いかがでしょうか。

 

 

四苦八苦 8月05日

 

毎日毎日暑い中、何をしているのか。

 

三度の食事をして、なんならオヤツも食べて

出稼ぎに行ったり(修復の仕事や教室など)

自宅の作業部屋で何かを作ったり直したり

 

自分も家族も健康で衣食住そろって、

これは幸せとしか言いようがない状況です。

テレビでオリンピックを観て

戦いと勝利の疑似体験をさせてもらって、

ワクワクドキドキも十分にある。

 

だけどなぁ。なんだか。

いまわたしが求めているのは

穏やかなちいさな日々ではなくて

挑戦の疑似体験でもなくて、

「非日常を経験すること」なのです、きっと。

 

飛行機のチケットや滞在先を決めて

現地情報を集めたり準備をあれこれ始めることから

「服は何を持って行くか」

「あの教会を訪れる最短ルートはどれか」

「これは持って行くか現地調達か」

「あの人へのお土産は何が良いか」

など小さな幸せな悩みをたくさん抱えたい。

 

そして緊張と楽しみの、心からの

ワクワクドキドキを経験したいのです。

イタリアに行きたのです。

 

今現在イタリアにお住まいの

日本の方々のブログなどを読んでいますと、

帰りたいのに帰れない、

日本の家族の緊急事態で、小さな子供を

イタリアに残してひとりで一時帰国、

なんてことも書かれています。

 

行きたいのに行けない。

帰りたいのに帰れない。

どちらが辛いかと言えば当然ながら

帰りたいのに帰れない、でしょう。

 

 

・・・そうしてまた振出しに戻る。

「必要以上の行動ができない」から

ウダウダしているなんて。

お気楽能天気にも程がある。

分かっている。

そして、本当に本心から行きたいなら

無理をすれば行けない訳では無い、という事実。

実際に行っている人もいるのだから。

だけど。

いやはや。どうにもこうにもままならぬ。

 

そんなことを考えて

自分を説得するのに四苦八苦している

8月のはじめです。

 

 

デューラーの砂時計は 8月02日

 

1400年代後半から1500年代前半の

ルネッサンス期に活躍したドイツの画家

デューラーの、とても高い再現度で

原寸大に印刷された版画集を観ていました。

じつに細かいのですが、デューラーが楽しんで

熱中して制作した様子が伝わります。

 

寓意画でも有名なデューラーですが、

砂時計も好んで登場させていたようです。

砂時計の寓意は「限りある時間」でしょうか。

「人生の短さ」などもあるようです。

メメント・モリのひとつ。

▲ひげの悪魔が騎士に砂時計を見せている。

(画像はwikipediaからお借りしました)

 

デューラーの作品に出ている砂時計を見ると

そのどれもが必ず(わたしが見つけた範囲内で)

砂は、半分落ちて半分残っている。

「人生の半分がすでに終わってしまった」

なのか

「人生、まだ半分残っている」

なのか。

▲壁にはおおきな砂時計。

(画像はwikipediaからお借りしました)

 

さて、わたしはどちらだろう。

上の砂が、残された時間が、わたしに

どれくらいあるか知るのは恐ろしいけれど。

考えている間にも刻一刻と砂は落ち続けるけれど。

行きつく思いは「有意義に過ごしたい。」

それしか思い至らない今日です。