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あの記憶を失いたくない 10月23日

 

毎年この時期、秋がはじまると

今年は行こうかな、と迷うけれど

結局行かずに冬を迎えてしまう場所があります。

 

何年も前に行った湖は細い山道を登って行った先にあって、

夏はバーベキューや水遊び、釣りを楽しむ人で

かなりにぎわう場所のようでしたが

わたしたちが行った11月のはじめは誰もいなくて

駐車場はガラガラ、お店も閉まっていました。

 

とてもよく晴れた風の強い日でした。

澄み切ったつめたい空気、

ひざ丈の草がザーザーとたなびき、水面もさざ波だって

ちぎれた雲が飛んでいきます。

青空が湖面に映るけれど、もっと青く深い。

色と匂いと空気の冷たさがどれも強いのです。

あまりに美しすぎる、と言いましょうか。

今ここと、夢あるいは死後の世界の境のような

この世ならぬ場所のような現実味のない感じで

呆然と眺めました。

 

美しさの記憶が鮮明で強すぎて、

もう一度行きたいけれど、

あの時とすこしでも違ったら夢から覚めてしまう、

あの記憶が丸ごと失われてしまうかもしれない、

そんな恐怖もあって、それ以来行っていません。

憧れは憧れのままに、

美しい記憶がひとつでもあるなら、壊さないように

大切にしたほうが良いのかもしないけれど。

やっぱりいつか行きたい、と思っています。

 

 

 

何も無いところへ 3月16日

 

KANESEIのブログ”diario”を始めたばかりの頃から

「何も無い」というカテゴリーを作っています。

何も無いところに行くのが好き、という理由で。

 

正確には何も無くはないのですが。

人工物がほとんど無いところ

荒涼とした開けたところ

地平線がみえるところ。

最近はあまりたどり着けていません。

 

いま一番行きたいのは北海道の野付半島

「トドワラ」と「ナラワラ」です。

きっと非日常の風景がある遠いところ。


写真は「北海道ファンマガジン」からお借りしました。

 

できれば晩秋、冬の来る直前に行きたいのです。

そこに「さわやかな空気」や「鳥のさえずり」

「美しい青空」は要りません。

花々も、そして他の人間も無いほうが望ましい。

寒風吹きすさぶ荒地にひとり立って目を見開けば

飛んでいくような解放感を味わえるでしょう。

 

わたしが「何も無いところ」に惹かれるのは

現実逃避と解放感、そして幸せの再確認

そんなところなのだろうと思っています。

 

 

何も無い 道と足跡 12月22日

 

誰もいない、空の広い開けた場所が好きです。

人工のものは砂利の敷かれた道だけ。

自然以外に何も無い。

ここは箱根の仙石原です。

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季節外れだったせいか誰も居ません。

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風が強くて枯れたススキがざわめき、雲がちぎれる。

ポケットに手を突っ込んでマフラーに顔を半分うずめて

ぼんやりと歩きました。

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とても寒いけれど清々しい。

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おや? 足元には謎の跡。

するどく刺さる形はハイヒールの踵では無さそうです。

誰?

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いのしし、ですか?

足跡が重なっています。

前足の跡を後足で追う歩き方、面白い。

 

でも突撃されても怖いです。

そして寒さも耐え難くなってきました。

暖かな場所へ退散しましょう。

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とても美しい「何も無い」でした。

 

 

何も無い 永遠 3月12日

 

厚い雲の層を抜けると 青と白の世界でした。

何も無い。

雲と空と・・・私の乗る飛行機だけ。

このまま空は宇宙に繋がっているのです。

宇宙にも終りがあると言うけれど

それは永遠に届かないところであって欲しい。

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何も無い けれど・・・ 11月13日

 

アジアとヨーロッパの境は人種も歴史も文化も

何もかもが混ざり合い 重なり合って

その重みは旅行者にも強く感じられます。

そんな辺りで見かけた風景にある遺跡。

今はもう何も無い・・・

けれど この遺跡は

キリストの12人弟子のうち 誰かが来た事のある

かつては大きな街だった証です。

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何も無い そしてまた 9月25日

 

これはどこだったか・・・またもや何も無い風景です。

ヨーロッパ大陸の平野 見渡す限りの畑です。

ひたすら平な地平線に雲が接する風景は

日本ではなかなか見ることが出来ません。

農閑期だったのかどこまでも土が広がり

遠くに4本の木だけが見えていました。

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「何も無い」の思い出も4つ目になりました。

何も無い また 8月23日

 

写真を見ると 撮影したその時に感じた匂いや空気を思い出します。

イングランド北部の荒涼とした荒地は

夏でもひんやりとていました。

濡れた土と草の匂い 水の匂い 遠い山から来る風の匂い

空気が東京より濃い・・・というか 違う種類の空気のような記憶。

 

「嵐が丘」の主人公二人が向こうから歩いてくるような気がしました。

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何も無い ふたたび 7月29日

 

アジアとヨーロッパの境のあたりの風景です。

車窓から眺めるのは永遠に続くかと思われるような

「何も無い」風景でした。

杖を持った羊飼いの老人と痩せた羊の群れが通りました。

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何も無い 7月24日

 

何も無い風景に惹かれます。

もちろん大地と空はあります。それとわずかな人工物。

遺跡や廃墟 人通りの絶えた道…

その人工物のはかなさが「何も無い」感を際立たせると言いましょうか。

こうした風景の中に佇み ファインダーを通して眺めるのは

さびしい つらい という感情ではなくて

ひたすら開放感なのです。

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中央の白い道を中学生くらいの男の子が一匹の犬と通っていきました。