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額縁の心と命と運命と 7月10日

 

良く晴れた乾いた午後に修理する額縁の洗浄をします。

湿らせた綿棒で丁寧に汚れを取り除きます。

そして装飾が無くなっている部分を

リモデルして補彩、と進める予定です。

 

この額縁の持ち主であるお客様は当初

壊れているし新しい額縁に交換しようかな、と仰いました。

その時わたしには・・・額縁の悲鳴が聞こえた気がしたのです。

 

もちろん「気がした」だけです。

わたしは物を擬人化する悪癖がありますので

変なことを言っているのは重々承知なのです。

子供じみたことは止めよう・・・と思いつつ

実はこの「擬人化癖」がわたしを

修復の道に進ませたのではないかな、と思います。

 

 

「助けて!まだ働けるのに捨てられちゃう!」と

わたしの横で叫ぶ額縁、そして

「そんなことを思っちゃう変な額縁修復師」のわたしの出会い。

これは運命と言いますか、

額縁の命はここで終わらないという定めでしょうか。

 

ちなみに、古くて廃棄目前でも

悲鳴を上げず無言無表情な額縁もあります。

「それは単にあなたの好みじゃないからでしょう!?」

と言われそうですけれど、そうではありません。

もう心はこの世にないような、あるいは

最初から心を持っていないような額縁もあるのですよ。

不思議。

額縁にはきっと心と命と運命がある。

それは作った人と所有してきた人たちが注いだ

思いと愛情で作られる、と思っています。

 

そろそろ「本当にいい加減にしてください」と思われそうなので

額縁擬人化物語は終わりにします。

 

新しい額縁には良い点はたくさんあります。

新しい技術と素材で作られていて、安全でより丈夫で

作品を大切に守り引き立てます。

流行に合わせたスタイルを作ることができます。

額装される作品は額縁によって大きく印象が変わりますから

思い通りの額縁を付けることによって

作品に対する愛情もより沸くでしょう。

 

古い額縁は、そうですね、新しい額縁より

安全度は下がっているかもしれない。

でもそれは補うことができます。

そして、古い額縁だからこその美しさ、趣き、重厚感があります。

その額縁を選んだ人、その額縁を作った人を

少し想像してみてください。

誰がいつ、どんな風にこの額縁をこの作品に選んだのかな。

どんな職人が何を思いながら作ったのかな。とか。

 

新しい額縁を作り、古い額縁を直すわたしが

独断と偏見で思うことではありますが・・・

役目を終えたと思われる額縁も

もう一度だけよく見て考えても遅くありません。

古い額縁を捨てて新しくするのはいつでもできます。

でも古い額縁は一度捨ててしまったら

もう二度と同じものは手に入りません。

 

「この額縁も悪くないな、修理してみても良いな」

と思っていただけたら幸いでございます。

chatGPTも先日、これからの時代は額縁も

SDGsを考えるべきと言っていましたしね!(受け売り・・・)